

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
クラシック音楽といえばバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンなどの王道名曲、時々ショパンやラフマニノフなどロマンティックなピアノ作品が特に女性に人気がある傾向だが、それ以外では映画やTVなどでチャイコフスキーやマーラーなどの楽曲の一部を聴いたことがある、という人がほとんどの世の中である。
私は日頃、音楽の専門家とも仕事をするが、世の中の大多数を占める「クラシック音楽ってナニ?」という人ともかなり接するので、その落差に驚くことは多い。しかも最近はマニアックな層と全く門外漢の二極化がかなり進んでいると思われる。おそらく少し前の時代まではクラシック音楽を教養のひとつとして聴く機会が一般的にも多かったのだろうと思うが、近年は音楽が多様化し、YouTubeや配信で体験する時代。そこに気難しい年配の男性が聴いているイメージの長大なクラシック音楽はどうにも馴染まない…といってしまうとジェンダー的に問題発言かもしれないのだが。
その中で「現代音楽」などというものは二極化の最も顕著なジャンルだろう。2025年になった現在、そもそも「現代音楽」とはなんぞや?という問いもあるが、特に戦後の日本の作曲家たちの足跡はそれこそ一部のアカデミックな人だけにしか、もはや知られていないのではないか。ところが先日の東京都交響楽団の定期演奏会ではこの現代音楽ばかりを取り上げた攻めたプログラムで関係者一同の注目を集めた。
第1020回都響定期演奏会Aシリーズ


メインは後半の「涅槃交響曲」。すごいタイトルである。作曲家の黛敏郎は1929年横浜生まれ。いわゆる実験的な手法を積極的に取り入れ、また映画音楽の世界でも活躍。テレビ番組などにも多数出演していたので、作曲家として当時お茶の間ではお馴染みの存在だった。いずれにせよ、戦後の日本のクラシック音楽史を語る上で伊福部昭、武満徹などとともに欠かすことのできない人物である。
このタイトルの「涅槃(ニルヴァーナ)」は文字通り仏教用語からきていて、小編成の楽器群であるバンダをバルコニーに配置し、さらにオーケストラと合唱を伴う6楽章の大規模な交響曲。その時代の潮流でもあった電子音楽やテープ音楽などを元にして、梵鐘の音をなんとスペクトル解析してそれを楽譜にするという当時最先端の作曲技法「カンパノロジー・エフェクト」を用いている。戦後の高度経済成長期を彷彿とさせるテクノロジーへの讃歌や、ヒッピー文化などの影響下にあるスピリチュアル的要素も加味された絶妙な時代感の作品は1958年に発表。
正直パッと聴いただけではなかなか難解だが、それでも今回の演奏会場である東京文化会館の客席部分に配置されたバンダと(安全性の問題でバルコニーは不可だったそう)舞台上で歌われる声明のような合唱がその音響効果を発揮した。私はなんだか子どもの頃、寺で行われた法事でお坊さんのお経が妙に音楽的で聴き入ってしまったことを思い出した。番組でもよく取り上げていたこの「涅槃交響曲」を生で聴いたのは実は初めて。大多数の日本人の生活の中に根付く「仏教」が西洋音楽に昇華するとこのような形になるのか、と新鮮な驚きとともにどこか肌馴染みの良いこの曲を興味深く聴いた。
黛敏郎:涅槃交響曲
前半はこの黛の作曲技法と同様、音響解析や物理学的なアプローチから作曲を試みたフランスの作曲家、トリスタン・ミュライユの1980年の作品「ゴンドワナ」、そしてパリ国立高等音楽院で学んだ夏田昌和の「重力波」は2004年の作曲と、時代を辿る様々な「現代音楽」が演奏された。「重力波」は音楽とともに、冒頭の大太鼓の振動音など、音響そのものを体感するという現代音楽ならではのインスタレーション的な感覚に満ちた楽曲だった。これらは一見難解だが、耳だけではなく全身で音と響きを浴びるという貴重な体験にもなった。
指揮を務めた下野竜也はNHK大河ドラマのテーマ演奏などでも知られる。明快な指揮振りが特徴で、都響の演奏技術の高さも相まって、今回のコンサートもこれだけマニアックな楽曲を集めたプログラムのわりにはすっきりとした後味の演奏だった。ちなみに夏田さんには、かつて番組でもゲストに来ていただいたことがあり、現代音楽作品を演奏することは同時代に生きる作曲家たちと感覚を共有できたり、コミュニケーションがとれるということにおいても素晴らしいことに違いない。
また夏田さんご自身がSNSで発信していたが、歴史の中に刻まれた様々な文化や経験の中で生み出された楽曲を生で追体験できることが重要なのであり、それぞれに好評も一部批判的な意見も散見されたが、それ自体が音楽が「生きている」証だという言葉に私は深く共感した。それに会場はほぼ満席の大盛況で、「現代音楽」はまだ決して絶滅していないということを強く感じさせた。
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