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[コラム] 山本寛斎とデヴィッド・ボウイと

NO.16編集部コラム


デザイナーの山本寛斎さんが亡くなった。

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English follows Japanese. 山本寛斎に関するご報告 かねてより病気療養中でありました山本寛斎が、急性骨髄性白血病のため、2020年7月21日に享年76歳にて永眠いたしました。 闘病中も、皆様にもう一度「元気」な山本寛斎の姿をお見せしたいという本人の強い意志のもと、前向きに治療に励む傍ら、クリエーションに対する熱い思いをスタッフに語っておりました。 『人間は、無尽蔵のエネルギーを持っている。』どんなに苦しい時であっても、その気持ちを忘れずに、果敢に挑戦し続けました。 長きにわたり、山本寛斎を応援して下さった皆様に、心より感謝を申し上げますとともに、謹んでお知らせいたします。 なお、7月31日に配信のオンラインイベント「日本元気プロジェクト2020 スーパーエネルギー‼」につきましては、予定通り開催いたします。 ともに当日を迎えることが出来なかったことはスタッフ一同、大変心残りではございますが、山本寛斎の思いがこもった作品を皆様にお届けしたいと思っております。 ———————– It is with immense sadness that we announce that Kansai Yamamoto has passed away on 21 July, 2020 due to acute myeloid leukemia. He was 76 years old. As he fought his illness, he remained always positive, never lost his passion towards creation, and was strongly determined to recover and come back with fully-charged energy to see you again. “Human energy is limitless” was his motto he would never let go, and he bravely kept challenging no matter hard the situation. We sincerely would like to thank you all for supporting Kansai for so many years. “Nippon Genki Project 2020 Super Energy”, our first online streaming event planned on 31 July will be conducted as scheduled. We deeply regret that Kansai cannot join us on the day, but we would like to deliver his passion and dream in the best way possible. To all persons concerned, we apologise for any inconvenience caused by the sudden situation and ask for your kind understanding. Again, we would like to convey our sincere thanks for your warm support. Your thoughts and sympathies to the family and those who were close to him would be appreciated.

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日本が誇る世界的なデザイナーであることは言うまでもない。そして、若い人たちは知らないかもしれないが、世界的なシンガーソングライターとコラボした人物でもある。

その人物とは、デヴィッド・ボウイだ。

1960年代から活動を続け、時代時代でそのスタイルを変えつつ、多くのアーティストに影響を与えながら2016年、最新アルバムを自身の69歳のバースデーにリリースし、その2日後、この世を去った。そのニュースは世界を駆け巡った。

ボウイは、その端正なヴィジュアルと妖艶な声、そして両目の色が違うという独特の個性の持ち主で、ユニセックスな雰囲気を持っていた。今でこそ、セクシャリティを飛び越えて表現をするアーティストは増えたが、やはり当時は稀有な存在だっただろう。グラムロックという、ヴィジュアルも含めたアートロックを体現していた彼が、山本寛斎さんのファッションに目が行ったのは至極当然のことだったのかもしれない。ボウイ自身が、もともと日本文化に大変興味を抱いていた、ということも寛斎さんに惹かれた理由の一つとも言えるだろう。また、ボウイは「ジギー・スターダスト」という架空のスーパースターを生み出し、アルバムを作り、ツアーも行うなど、そのイマジネーションとクリエイティヴィティは、確実にファッションとの融和を必要としていた。

山本寛斎さんが手がけたのは1970年代のステージ衣装だ。特に有名なのはトーキョーポップのジャンプスーツだ。ぱっと見、ニッカポッカのようにも見えるが、これは袴を取り入れた衣装。また、ステージ上で纏ったケープには「出火吐暴威」と漢字で書かれていた。日本の伝説的バンド、BOØWYがデビュー当初「暴威」と表記していたのは、よく知られていることだ。

山本寛斎さんは、デザインの仕事の傍、その明るいキャラクターでテレビなどでも活躍した。常にエネルギッシュで、笑顔を絶やさない素敵な人だった。

デヴィッド・ボウイと山本寛斎。インターネットも、携帯電話もない時代、2人が出会ったのはある意味で奇跡に近いものだったのかもしれない。70年代以降を代表する2人のアーティストは、一体何を語り、感じ合い、刺激を与え合ったのだろう。その熱量は、計り知れないものがあっただろう。

R.I.P.山本寛斎さん。

こちらはNO.16によるデヴィッド・ボウイPLAYLIST。

(NO.16編集部)

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