デザイナーの山本寛斎さんが亡くなった。
日本が誇る世界的なデザイナーであることは言うまでもない。そして、若い人たちは知らないかもしれないが、世界的なシンガーソングライターとコラボした人物でもある。
その人物とは、デヴィッド・ボウイだ。
1960年代から活動を続け、時代時代でそのスタイルを変えつつ、多くのアーティストに影響を与えながら2016年、最新アルバムを自身の69歳のバースデーにリリースし、その2日後、この世を去った。そのニュースは世界を駆け巡った。
ボウイは、その端正なヴィジュアルと妖艶な声、そして両目の色が違うという独特の個性の持ち主で、ユニセックスな雰囲気を持っていた。今でこそ、セクシャリティを飛び越えて表現をするアーティストは増えたが、やはり当時は稀有な存在だっただろう。グラムロックという、ヴィジュアルも含めたアートロックを体現していた彼が、山本寛斎さんのファッションに目が行ったのは至極当然のことだったのかもしれない。ボウイ自身が、もともと日本文化に大変興味を抱いていた、ということも寛斎さんに惹かれた理由の一つとも言えるだろう。また、ボウイは「ジギー・スターダスト」という架空のスーパースターを生み出し、アルバムを作り、ツアーも行うなど、そのイマジネーションとクリエイティヴィティは、確実にファッションとの融和を必要としていた。
山本寛斎さんが手がけたのは1970年代のステージ衣装だ。特に有名なのはトーキョーポップのジャンプスーツだ。ぱっと見、ニッカポッカのようにも見えるが、これは袴を取り入れた衣装。また、ステージ上で纏ったケープには「出火吐暴威」と漢字で書かれていた。日本の伝説的バンド、BOØWYがデビュー当初「暴威」と表記していたのは、よく知られていることだ。
山本寛斎さんは、デザインの仕事の傍、その明るいキャラクターでテレビなどでも活躍した。常にエネルギッシュで、笑顔を絶やさない素敵な人だった。
デヴィッド・ボウイと山本寛斎。インターネットも、携帯電話もない時代、2人が出会ったのはある意味で奇跡に近いものだったのかもしれない。70年代以降を代表する2人のアーティストは、一体何を語り、感じ合い、刺激を与え合ったのだろう。その熱量は、計り知れないものがあっただろう。
R.I.P.山本寛斎さん。
こちらはNO.16によるデヴィッド・ボウイPLAYLIST。
(NO.16編集部)