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[コラム] 時代を作る者、時代に乗る者

NO.16編集部コラム


現在のポップミュージックの世界が隆盛となってから、はや半世紀以上が過ぎている。ポップミュージックの世界を振り返ると、常に「時代を作る」アーティストが登場してきた。その源流はやはりビートルズだろう。ルーツ・ミュージックを、ポップ・ミュージックへと昇華させた彼らはまさに時代を作ったアーティストである。

アメリカでは、モータウンのプロデュースから自らのプロデュースによる楽曲制作へと舵を切ったマーヴィン・ゲイ、子供の頃からその才能を遺憾無く発揮したスティーヴィー・ワンダー。アイドルからの脱却を試み、大成功を果たしたマイケル・ジャクソンがいた。イギリスでは、ブリット・ポップという狂想曲の中でオアシスが確固たる地位を築いた。

これまで「時代を作ってきた」と思われるアーティストが、「時代に乗る」という選択を取る場合もある。筆者がそれを強く感じるのは、コールドプレイだ。

2000年にデビューした彼らは、レディオヘッドの再来とまで言われ、UKロックの新時代を築き始めた。デビューアルバムの「Parachutes」は繊細なメロディやサウンドが耳に残る極上のオルタナティブ・ロックアルバムだ。

2枚目の「A Rush Of Blood To The Head」や3枚目の「X&Y」も、同じ軸の上にどっしりと腰を据えて、彼らの音を築き上げていた。そんなコールドプレイが、「時代の作り手」から「時代の乗り手」に変化を始めたのが、アルバム「Viva La Vida」だろう。コールドプレイらしさが無くなったわけではない。しかし。「Life In Technicolor」や「Lovers In Japan」、「Viva La Vida」といった、新しいコールドプレイ像を探し始めた楽曲が多く収録された。そして、それは大ヒットした。さらに、「Lost!」という楽曲では、アルバムに収録されたバージョンとは別に、ラッパーのJay-Zとコラボしたバージョンもある。時代はまさにHIP HOP隆盛の時を迎えようとしていた時期である。コールドプレイ自身もデビューから8年が過ぎていた。もちろん変化は必要になってくるが、愚直に自分たちのスタイルを「これ!」と固定するか、もしくは柔軟に変えていくのか。コールドプレイは後者を選択したのだ。

それからはエレクトロサウンドを取り入れたり、スーパーボウルのハーフタイムショウではブルーノ・マーズやビヨンセとも共演をした(この共演は、残念ながらコールドプレイの存在感を薄めてしまったようにも感じたが・・・)。

そして、デビューから20年以上が過ぎた今年、ニューアルバムをリリース。その先行シングルとして発表された「My Universe」は、なんとBTSとのコラボだった。

他にもアルバムには、セレーナ・ゴメスや、ジェイコブ・コリアーなどとのコラボ曲が収録されている。個人的なアンセムがデビューアルバムの「Yellow」の筆者にとっては、ちょっと疑問の残るコラボだったのだが、20年に渡って音楽シーンにいることは、とてつもなく大変な努力が必要なことは理解できる。特に、ここ10年ほどのテクノロジーの進化やSNSの進化など、20年前とは比べ物にならないスピードで物事が動いている時代。その時代の波を予測し、良い波をセレクトし、乗りこなすことは、必要不可欠な要素なのだ。無論、その荒波の中で時代を作る、例えばビリー・アイリッシュのような存在は、とてつもない存在と言えるだろう。

考えてみれば、コールドプレイが世界的(アメリカや、日本のライトな音楽好きなども含めて)ブレイクしたのは、おそらく「VIva Lα Vida」なので、そう考えるとコールドプレイは最初から時代に乗ることを考えていたのかもしれない。

さて、80年代から現在にかけて、時代に乗り続けているアーティストもいる。

マドンナだ。

「マドンナの音」と呼べる確固たるサウンドは、持っていない。しかし80年台のディスコサウンドや、90年台のハウス、2000年台のヒップホップ、そして最新作ではラテンと、時代時代の流れをいち早くキャッチし、プロデューサーや若手アーティスト、注目アーティストとコラボしまくる。デビーから40年以上が過ぎても、言動がニュースとなり、新作が出れば否応なく注目を集める、存在感は恐るべきものがある。

結局のところ、時代を作る、時代に乗る・・・この2つは、後から振り返ると、そうだったのではないか?という後付けでしかないことは、もちろん言うまでもないだろう。そしてアーティストが目指すものは、アーティスト自身しか分かり得ないことでもある。本末転倒ではあるが、こうした視点で音楽を聞いているのも、また一興かもしれない。
(NO.16編集部)