<特集 – ドラマー特集>
ジョン・ボーナム
KASHMIR LED ZEPPELIN
様々なバンドが生まれてきな中で、ドラマーとしてまず名前が挙がるのは、ツェッペリンのジョン・ボーナムではないだろうか。
わずか5歳でドラムを始め、ジャズ・ドラマーを真似て練習していたそう。複数のバンドでドラムを叩くようになり、いずれイギリスで最もデカイ音を出すドラマー、といった評判が響き渡るようになり、ツェエペリンに参加。
しかし、1980年、お酒の飲み過ぎで命を落とすことになる。32歳という若さだった。
彼はドラムを叩きながらコーラスを担当したり、「KASHMIR」では作曲者の一人としてクレジットされるなど、音楽性豊かなドラマーだったことがわかる。
アート・ブレイキー
MOANIN’ ART BLAKEY & THE JAZZ MESSENGERS
ジャズドラムの世界でレジェンドとして名前が挙がるのは、やはりアート・ブレイキー。今年は、生誕100年というアニバーサリーでもある。元々はピアノをプレイしていたが、ピアニストを断念し、ドラムへと転向。
そのドラミングでは、アフロビートをドラムセットでプレイするなど、高く評価されている。また、ジャズを一般にまで普及させた功労者としても評価されている。彼は自身がリーダーを務める「メッセンジャーズ」というバンドを作り、若いジャズ・ミュージシャンを加入させ、育てて行った。リー・モーガン、ウェイン・ショーター、キース・ジャレットなどが彼のバンドから巣立っていった。
リック・アレン
POUR SOME SUGAR ON ME DEF LEPPARD
イギリスのハードロックバンド、デフ・レパード。リック・アレンはわずか15歳でドラマーとしてバンドに参加。1980年のデビュー以降、着実にビッグバンドへと成長を遂げていったが、1984年の大晦日に、交通事故によりなんと左腕を切断。しかしバンドはリックじゃないとだめた!として、解散すら考えていたそうだが、電子ドラムメーカーが、リックのために特別なドラムを製作。見事に片腕のドラマーとしてバンドに復帰した。バンドの代表曲のひとつでもある、「POUR SOME SUGAR ON ME」も、彼が復帰した後にリリースされたナンバーである。
デイヴ・グロール
SMELLS LIKE TEEN SPIRIT NIRVANA
90年代、グランジの代表バンドとして世界中にその名を轟かせたが、フロントマン、カート・コバーンの衝撃的な自殺によりその活動に幕を下ろしたニルヴァーナ。そのドラムを叩いていたのが、のちのフー・ファイターズのフロントマン、デイヴ・グロールだ。フー・フィアターズではギター、ヴォーカルとして再び世界にその名を轟かせることになる。また、QUEENS OF THE STONE AGEや、THEM CROOKED VARTURESといったバンドでは、ドラムを叩くなど、マルチな音楽的才能を如何なく発揮し続けている。
ドラムの連打最速記録
PARALYZED DREAM THEATER
80年代から活動しているプログレッシブ・メタル・バンド。2010年に、前のドラマーが脱退したことを受けたオーディションによってバンドに参加した。
彼の経歴を遡ると、スティーヴ・ヴァイと活動をともにしたり、エクストリームのメンバーとして、アルバム「WAITING FOR THE PUNCHLINE」をレコーディングしたり、さらにはバークリー音楽院で教鞭をとったりしている。
また、2002年から2005年にかけて、ドラムの連打最速記録を5つも持っていたということで、そのスピードとテクニックは、推して測るべしだろう。