

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)
およそシューベルトのピアノソナタほど聴くのに覚悟が必要な音楽もないと思う。少なくとも私はそうである。正直ピアノをやっていた学生の時もどう弾いたらよいのかよくわからなかった。いつも手探りで捉えどころがないように感じていた。でも録音だと気に入った演奏が時々あって、そうした演奏に出会うとその時はソナタも悪くないな、と思ったりするのだが、生のコンサートで積極的に聴こうという気はなかなか湧かないのである。だから余計に理解しなければ、勉強しなければ、という意識にがんじがらめにされて、息が詰まってしまうようなところがある。かといってシューベルトに罪はない。歌曲や室内楽では、シューベルトのはっとするような美しいメロディーや天衣無縫ともいえる絶妙な転調にすんなり入っていけるのに、何故だろう? ひとつにはモダンピアノの響きがシューベルトの音楽に馴染まないからかもしれない。フォルテピアノで演奏されたソナタを聴くと、私のソナタアレルギーも多少和らぐのだ。
シューベルト:八重奏曲
しかし今回のコンサートはまさにモダンピアノで弾くシューベルトであった。その時点でまた身構えてしまった。それは前回から引き続きトッパンホールのバースデー企画のひとつ、ウィーン出身のピアニスト、ティル・フェルナーのリサイタルだった。ひとつ前のコラムでも書いたが、ティル・フェルナーは生で聴くのは実に20年振りくらいのブランクがあった。デビュー間もない若手ピアニストだった当時のティル・フェルナーの演奏はきっちりとしながらも温かみがあって、溌剌とした音色がまだ記憶の中に残っていたので、時を経た彼のピアノがどのように変化しているのか確かめたい、というのはあった。しかし苦手なシューベルトのピアノソナタ。始まった途端、アレルギー反応が出てしまった。コンサート開始直後、フェルナー自身も緊張でコンディションもあまり良くなかったように思う。第20番の1楽章がとても長く感じられてしまった。2楽章になると早くも眠気まで襲ってきた。このままではまずい……。しかし3楽章になると軽やかな楽想で少し動きが出たせいか、徐々に音に生気が宿ってきた。フェルナーのピアノは生真面目だが、シューベルト弾きとしても名高い内田光子などに比べると、音には温もりがある。それはまるで寒い季節に親しい人と繋がれた手に感じる温もりのように徐々に温まってくる。
ティル・フェルナー
初めてフェルナーのピアノを聴いた20年前に比べると軽やかだったタッチはやや重みを増していた。音楽的に深みを増した、ということもできるのだろうが、序盤はちょっといろいろなものを背負い過ぎてしまったような、繋いだ手が汗ばんでしまった感じもした。その矢先にプログラムの中盤、シェーンベルクのピアノ小品Op11が挟まれた。ウィーンという共通項を持つシューベルトとシェーンベルク、そしてそれを奏でるフェルナー。その繋がりと見事な構成はそのまま演奏にも反映された。シェーンベルクのほぼ無調の作品は適度な温度感を残しつつ、真面目な演奏ゆえにやや硬さが優ったシューベルトのソナタから一気に解放感を与えてくれたのである。
シェーンベルク:3つの小品Op11
休憩後はその解放された空気感がそのまま後半のソナタ第21番に持ち越された。シューベルトの人生最後のピアノソナタである変ロ長調のこの作品は4楽章からなる最も有名なもの。もちろんこうしたリサイタルではメインプログラムとなることが多いので、ピアニストにとっては思い入れも大きい。諦観のような寂しさが漂う中にシューベルト特有の歌心と揺れ動く調性といった危うさもあり、尚且つ死の直前に書かれた精神性の高い大作でもある。それだけにとかく頭でっかちになりがちなこのソナタをフェルナーは後半、深みと軽さの見事なバランスの演奏を披露してくれた。私にとってはフォルテピアノで聴くことでいくらか軽減されるソナタの苦手意識。それとは違った方向性だったが久しぶりに違和感を持たずに聴けた。アンコールもシューベルトとシェーンベルクでリサイタル全体をウィーン一色でまとめあげた。
シューベルト:ピアノソナタ第21番変ロ長調
その前の週末、史上最大の台風19号が東京を横断していた。都内の在来線のほとんどが計画運休となり、収録の後、仕事の資料を抱えて在宅仕事をしようと思っていた私だが、近くを流れる多摩川の氾濫警報に心が落ち着かず、仕事どころではなかった。不安な思いをかき消すように普段ほとんど触らないピアノの蓋を開けた。すっかりピアノを弾くことから離れてしまっているのだが、私はそれでもピアノに向かって動かない指を動かしていた。
様々な思いを巡らせながら聴いたのが20年振りに聴いたほぼ同世代のピアニスト、ティル・フェルナーの演奏だったこと、苦手なシューベルトのピアノソナタだったのは、ちょっとした精神安定剤を処方されたような感じでもあった。
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