6月30日、2つのFMラジオ局が閉局した。
一つは新潟のFM PORT。開局当初は、J-WAVEなどが構成するネットワーク「Japan FM League」に所属するなど、新進気鋭のラジオ局だっただろう。そしてもう一つは名古屋のRadio NEO。こちらは、2010年に閉局したRadio-iを引き継ぐ形で2014年に東京のInterFM(当時)の名古屋支局と言う形で立ち上がった。当初は、InterFM(当初)の放送をサイマルで流しつつ、名古屋オリジナルの番組も制作をしていたが、2016年に名称をRadio NEOに改め、InterFM897のサイマルもほぼ終了していた。オリジナル・コンテンツの比率を上げて、なんとか生き残ろうとしたのだろうが、日本におけるラジオの状況は、radikoの登場でよくはなって来ている、とも言われているが、やはり存在感の陰りは否めない。ましてや、名古屋にはTFM系列のFM愛知、J-WAVE系列のZIP-FMが、定着している(当時Radio-iは、ある程度の地盤は固めていたと思われるが)。はたしてフロンティアだったかは、かなり疑問だろう。
母体でもあるInterFM897の状況を見ても、今年の3月末でウィークデーの生ワイド番組が激減。DJが存在しない「ミュージック・ミックス」の枠が増加している。おそらく経費の削減が理由だろう。
ラジオというメディア、特に日本のFMは、不思議なもので、トークと音楽、この2つが折り重なることで、絶妙な緩急をもたらしてくれる。ずーっとトークだけを聞くよりも、音楽が頻繁にかかることで頭の中を整理する時間が生まれるのだ。そして、何より音楽との新しい出会い、そこに対するDJやスタッフの思いを垣間見ることができるのだ。
とはいえ、民間企業である。故に利益を上げなければならない。今の日本のラジオは広告収入が主な経営モデルであるため、資金を出してくれる広告主の方をかなり意識する必要があるだろう。また、コアなリスナーよりもジェネラルな幅に響くよう、選曲もある程度意識せざるを得ない状況だと推察する。そのため、個性的なDJであったり、そこまでメジャーではない楽曲がたくさん流れる番組は自ずと敬遠されがちになってしまう状況が生まれる。しかし、これは「没個性」「平均化」を招くことにより、強いてはそれぞれのラジオ局の自らの首を絞めてしまうことにつながるのではないかと危惧している。
もちろん、ここには日本のラジオの免許制度も大きな理由があるだろう。免許事業なので、競争相手がそうそう出てこない。東京であれば、J-WAVE、TOKYO FM、InterFM897と、高出力のFM局はこの3局だけだ(もちろんAM局も競合となる)。
決して免許事業にあぐらをかいているわけではないだろう。しかし、競争が起きなければ、モチベーションも徐々に下がっていくだろうし、コンテンツも固定化されかねない。そうしているうちに、ネットメディアにも差を広げられてしまう。
音楽を好む人間としては、「こんな曲もあるんだ!」という発見が欲しいし、こんな曲もあったな〜という視点も欲しい。どの局を聞いても、大体は同じ曲が流れている、というのはあまりに寂しい。ましてや、そのラジオ局そのものが減ってしまったという事実。今回は名古屋と新潟だったが、東京も含めた日本のラジオ局が置かれている状況を如実に表している出来事に違いない。
ラジオ局に求めることというのはリスナーそれぞれが持っていることだろう。一方でラジオ局は一体どこを向いているのだろうか?スポンサーがついていない番組は、すぐに終わってしまうという。どんなに良質なコンテンツだったとしても、これは不文律なのだろう。しかしそれで、良質な文化を育て、根付かせていくことはできるのだろうか?ラジオ局だけでは到底解決できない問題でもあるが、音楽好き、ラジオ好きな人間として、憂慮している。
(NO.16編集部)