1月8日は、David Bowieが生まれた日である。生きていれば、74歳となるはずだった。
思い返せば5年前の今日、ボウイのニューアルバムがリリースされた。「Black Star」と題されたそのアルバムは、80’sの煌びやかさや、90’〜2000年代の自らを見つめ直しかつ、温かさを醸し出すような雰囲気もどこにも存在しない、まさに黒と、それを囲む白の2トーンの世界が広がっていた。
個人的には「いいな〜」と思っていたが、ボウイ好きな知人は「う〜ん・・・」という反応だった。好みは人それぞれだし、69歳の誕生日に突然新作をリリースするってだけでもすごいな〜と、能天気に考えており、次のアルバムも楽しみだ〜とか、そんなことを考えていた。
しかし、その数日後、アルバムの真意に気づくことができなかった自分自身を呪うとともに、とてつもない喪失感を持たされた。David Bowieがこの世を去ってしまったのだ。
彼の死のニュースを聞いた後にアルバムに収録されている「Lazarus」のビデオを見ると、彼が自らの死を感じ取り、それを自ら音楽とヴィジュアルに落とし込むということをしていたことが分かる
こうやって言葉で言ってしまうと、簡単だが、自らの死を受け入れ、それを作品としてアウトプットすることは、とてつもない精神力が必要なのではないかと思う。筆者も、最近身近な人を亡くしたのだが、身近とはいえ他人の死でこれだけ精神的にダメージを受けるのに、自らの死を受け入れるというのはまだ、自分では耐えられない事実だ。
ボウイ自身、もしかしたら自分の死を受け入れられなかったのかもしれない。だからこそ、その不安だったり、怒りや悲しみを音楽に変換して吐き出していたのかもしれない。今、改めてLazarusを見て、聞いても、その白と黒のボウイの本心に迫ることはできない。
1960年代から半世紀以上にわたって、音楽活動を続けてきたボウイ。声、曲、プロデュース、ヴィジュアル、どれを取っても唯一無二の存在。強烈な個性を兼ね備えていたアーティストの1人。
ビートルズほどには語られることのないデビッド・ボウイだが、是非とも時代の流れとともに変化して、最後には自らの死すら歌にした彼の音楽世界を一度はのぞいて見てほしい。
(NO.16編集部)