RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
スタニスラフ・ブーニン。
私と同世代のピアノファンなら一際感慨深く、その名を思い浮かべるピアニストに違いない。
ある日、ふとテレビをつけると彼の特集をやっていた。19歳の時に当時史上最年少でショパン国際ピアノコンクールに優勝。日本でも大きくニュースで取り上げられた。ピアノを学ぶ高校生だった私もテレビ画面にかじり付いて観ていたものだ。自分といくらも歳の違わない、それにしてはひどく落ち着いた、背が高く口髭を生やした風貌の青年は、カメラのフラッシュを浴びていても常に無表情で、その態度が一層彼の天才性を物語っているような気がした。
ショパンコンクール1985
圧倒的な知名度を得た彼は特に日本で熱狂的に迎えられ、その後すぐに来日リサイタルが実現した。そのチケットを取るために友人と公衆電話から何度も何度もプレイガイドに掛け続けたのを思い出す。なんとも昭和的なエピソードである。しかし熱に浮かされたような日本列島でのフィーバーから程なくして、彼は西ドイツに亡命。間もなくベルリンの壁が崩壊し、ソ連もなくなった。
ブーニンはその後日本での活動期間もあったが、その頃になると、国内の大御所音楽評論家から辛い評価を受けるようになり、ブーニンの奔放なピアニズムもストイックな芸術家を好む日本の古い音楽ファンとは相入れず、彼の演奏は脚光を浴びることは少なくなっていった。私もその頃EMIから発売された音源を聴いたが、かつての圧倒的な印象は持てなかった。コンクールでの情熱迸るピアノは、あの時代の彼だからこそ、なし得たことなのかもしれない。
その後はブーニンのことはもはや過去の人、という感じになっていた。そして件のショパンコンクールもアジア人が席巻する時代となり、先日は日本人の反田恭平や小林愛美などが上位入賞を果たすなど、話題を振りまいた。しかしその反田恭平はなんとコンクール出場前にブーニンのレッスンを受けていたという。なるほど彼がコンクール第二次予選で弾いた、ヘ長調Op34-3「猫のワルツ」は、目が回るような高速のテンポもブーニンの演奏を思わせた。しかしそのレッスンでは「音楽には歌が重要だ」と繰り返し語っていた、という。
ショパン:猫のワルツ
ショパン:猫のワルツby反田恭平
カンタービレというよりはテクニックとテンペラメントのイメージが強いブーニンの言葉。これはちょっと意外でもあった。しかしやはり東西冷戦時代、芸術家に対するソ連党局の抑圧は相当なものだったのだろう。もちろんブーニンにはショパンコンクールでも亡命をさせないためのお目付役が常に付いて回っていた。他のアーティストたちとも気安く交流することはできない。この時に第5位入賞したジャン・マルク・ルイサダとは親交があったそうが、個人的に手を差し伸べることも難しかったらしい。こうした環境下で自由な音楽表現が叶うはずもない。亡命は彼がピアニストとして生きるためにどうしても必要な手段だった。
そんな中、彼は職業病ともいえる筋肉の炎症疾患と持病の糖尿病が重なり、足を切断しないと命の危険まで脅かされることになる。日本人の妻とともに足を切断せずに治療できる医師を探し、ドイツで壊死した足の一部を切断し、上下の足を繋げることでピアノを弾き続ける人生を選択した。
当然片方の足が極端に短くなった。ピアニストは手が無事であれば活動ができるように勘違いする人もいるかもしれないが、ダイナミックな打鍵や音色の微妙なニュアンスを調整するのに足のペダルは欠かせない。もちろん座っていても身体全体を支えるバランスを取るのに足は手と同様に非常に重要である。
正直私は、この闘病時代のブーニンについてほとんど知らなかった。コンクールで華々しく優勝しても、その後忘れ去られる少なくないピアニストの一人だと思っていた。しかし、演奏家としてどれだけの葛藤の上にあった決断だったかは、想像に難くない。音楽を希求するその切実な思いは、復帰リサイタルへと向けられた。その凄まじい練習風景には胸を締め付けるものがあった。
復帰コンサートは八ヶ岳高原音楽堂で行われた。名前の通り自然豊かな高原の山中にある会場で、木の温もりのある六角形の佇まいは外観も美しい。250席ほどの会場だが、ブーニンの祖父であるゲンリヒ・ネイガウスの高弟で、世界的なピアニストであるスヴャトスラフ・リヒテルが大きく設立に関わるなど、由緒あるホールである。
もちろんショパンコンクール優勝当時のブーニンのピアノと今回の演奏を比較することはできない。本人もインタビューの中で語っていた通り、プロのピアニストとして納得できる演奏とは違っていたかもしれない。それでもピアノを弾くこと、音楽を愛することは彼の人生の一部であり、それをやめることはできないのだ。
そんな彼が選んだプログラムはシューマンの「色とりどりの小品」。ドキュメンタリー映像から流れるそのピアノを、自らの青春時代の記憶とともに切なく聴いた。
シューマン:色とりどりの小品
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