ワールドミュージック特集 南米編
◆サンバ(ブラジル)◆
19世紀の終わりごろ、ブラジル北東部の港町バイーア、現在のサルバドールで生まれたとされています。
バイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れてこられた黒人が上陸した場所でしてす。
その後、リオ・デ・ジャネイロにて、アフリカ系黒人の奴隷労働者たちが持ち込んだ、
Batucada(バトゥカーダ、打楽器のみの構成によるサンバ)などの音楽に
ショーロやルンドゥーなどの要素がとりこまれ成立したのがサンバとされています。
黒人たちの持ち込んだアフリカの宗教的民俗舞曲と、
ポルカやマズルカといったヨーロッパの舞曲などが混ざり合って現在のサンバの根茎を成しています。
いわゆるドカッカ・ドッカ・ドカッカ・ドッカ・ドカッカ・ドッカ・ドカッカ・ドッカのリズムですね。
Eternal Screen Ground Orchestra ; Samba de Orfeu
オルフェのサンバ
1959年映画『黒いオルフェ』の挿入歌です。
作曲家は、Luiz Bonfa ルイスボンファという方でして、
ボサノバで取り上げた、アントニオ・カルロス・ジョビンとも関連がある方です。
Pitbull; Fireball ft. John Ryan
ピットブル
ピットブルは、1981年1月15日(35歳)、
アメリカ合衆国 フロリダ州 マイアミ出身の歌手です。
本名は「アルマンド・クリスティアン・ウリア・ルイス・ペレス(Armando Christian Uria Ruiz Perez)」になります。
両親はキューバ人で、マイアミで最もキューバ人が多く住むと言われるリトル ハバーナ地区で育った移民二世でして、
英語とスペイン語のバイリンガルです。
ピットブルの名前の所以は、「歌っている様子がまるで犬のピットブルみたいだ」と言われた事から、
「ピットブル」と名乗るようになりました。
◆ボサノヴァ(ブラジル)◆
Bossa Nova の Nova とはポルトガル語で「新しい」、Bossa とは「隆起、こぶ」の意味でして、
Bossa Nova とは「新しい傾向」「新しい感覚」を表しています。
1950年代中期、リオデジャネイロの作編曲家、アントニオ・カルロス・ジョビン
歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、
政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが中心人物とされています。
ターターツター・ツター・ツター・ツターのギターのリズムで構成されています。
リズムとしては、サンバのリズムを2倍に伸ばしたものになります。
サンバのハーフテンポ版ですね。
特にコード進行が洗練されています、サンバのリズムをハーフテンポでギターで刻み、
おしゃれなコード進行を乗せるとボサノバになります。
いわゆるカフェミュージックの定番ですね。
イパネマの娘
1962年
ジョビン、モライスなどのボサノヴァ・アーティストたちは、
リオデジャネイロのイパネマ海岸近くにあったバー「ヴェローゾ」にたむろして酒を飲むことが多く、
その際に、近所でも有名な美少女の歩く姿を見てインスピレーションされて作ったといわれていますが、
実際にはスタジオ、自宅でこもって作ったようです。
Andy Williams & Antonio Carlos Jobim The Girl From Ipanema
パット・メセニー
パット・メセニーはアメリカ人のジャズギタリストです。
18歳の時に、ゲイリー・バートンのコンサートにて、
パット・メセニーはバートンのグループの加入を願うために、楽屋に行き、自身の演奏を披露しました。
バートンはメセニーの実力を認め、彼の推薦で18歳でバークリー音楽大学の講師を務めました。
21歳で、ECMのレーベルにて、ファーストアルバム、ブライト・サイズ・ライフをリリースしました。
とても21歳の曲とは思えない曲です。
Pat Metheny Group Better Days Ahead
◆サルサ(プエルトリコ)◆
サルサ(Salsa music)はラテン音楽ジャンルでして、
スペイン語のソースを意味します。
いろいろな音楽が混ざって形成された、いわゆるミクスチャーミュージックでして、
リズムの基本となるのは南米音楽特有の「クラーベ」という単位になります。
クラーベのリズムは2-3(ツースリー)、3-2(スリーツー)のリズムで、
一般的に2(ツー)はシンコペートされた2拍目と3拍目のみ、3(スリー)は4拍子を三連符のリズムでクラーベスの音を出します。
その二つでワンセットの「クラーベ」の単位になり、そのクラーベのリズムにベースやピアノが加わり、
コンガ、ボンゴ、ティンバレスなどのパーカッションや、トランペットなどのホーンセクションが加わって構成されて行きます。
中南米、北米では一般的なラテン移民の庶民のダンスミュージックとして認識されており、
かつては、家族で集まるときの余興の認識が強かったのですが、
今では多くのラティーナ、ラティーノが人口比率で増えているので、
ラテン系の移民の多いニューヨークやサンフランシスコなどの大都市ではサルサのクラスやクラブが増えています。
Tito Puente Ran Kan Kan
ラテンの王様
ティト・プエンテ(Tito Puente)こと、エルネスト・アントニオ・プエンテ,Jr. は
米国・ニューヨーク出身、1923年4月20日生まれのミュージシャンです。
「ティンバレスの王様」、「ラテンの王様」とも呼ばれており、
ティンバレス、ヴィブラフォン、キーボードなど複数の楽器を演奏することができ、
作曲家・編曲家・バンドリーダーとして活躍していました。
1940年代から活躍し、1950年代の世界的マンボブームをけん引し、
自分のバンドから多くの後進を輩出しました。
プエルトリカンの両親をもち、
ヒスパニック居住区(スパニッシュ・ハーレム)で少年時代を過ごしたそうです。
デビューは13歳の時でして、ラモン・オリベーロの楽団に加入したそうです。
Pitbull I Know You Want Me
良く聞くと、サルサ
この曲なかなかスマッシュヒットした曲なんですが、
良く聞くと、サルサなんですね。
日本人の感覚で聞くと解りませんでした。