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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

美しき自己犠牲

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)

いつも直前までスケジュールが確定しない状況の私が珍しく随分前からチケットを手配していたコンサートが先日サントリーホールであった。日本フィルハーモニー交響楽団の第700回記念定期公演である。メインプログラムは日本初演となるストラヴィンスキーの『ペルセフォーヌ』。

icon-youtube-play ストラヴィンスキー「ペルセフォーヌ」byラザレフ指揮日本フィル(予告編)

この作品を聴きたかったのは10代の頃の思い出と重なるところが多い。その年頃にありがちなことではあるが、私は小学校高学年くらいの頃、星占いに大いに興味を持っていた。自分が乙女座生まれだったこともあり、その星座のもとになる神話の『ペルセフォーヌ』のストーリーは随分と印象的に頭の中に残っていたものである。

ペルセフォーヌは豊穣の女神、デメテルの娘。冥界の王ブリュトンに求婚され、これを拒むが、愛されるあまりついには連れ去られてしまう。愛する娘の誘拐を知った母デメテルはショックのあまり倒れ、大地の実りは失われてしまう。それを知った父ゼウスはブリュトンを説得し、ペルセフォーヌを母の元へ返そうとする。しかし冥界の食べ物を口にしていたぺルセフォーヌはもはや地上には戻れない。そこで冥界と地上、双方で暮らすことになる。彼女が地上で生活する時には大地に実りと喜びが溢れ、逆に冥界に戻る時には地上は冬を迎える。こうして四季が生まれた、というお話である。

また、私は中学生くらいになるとキリスト教文学が好きでよく読んでいて、なかでもアンドレ・ジッドの『田園交響楽』や『狭き門』といった作品は大好きだった。ここには女子の中二病的なエッセンスがたくさん詰まっていると言ってもいい。特に『狭き門』はマタイによる福音書からの一節がもととなっており、その後バッハの音楽へと繋がっていき、私自身を構成する要素といっても過言ではない。神への愛に生きようとするアリサが、従弟ジェロームとの地上での愛を諦め、ついには命を断つ。その苦悩が日記という形で綴られ、それを読むことで彼女の想いを知るジェロームが一人で生きていくことを決意する。『狭き門』読了後はしばらくその世界にどっぷりとはまっていたのを思い出す。

こうした符号が重なったのが、この『ペルセフォーヌ』だった。当時一世を風靡したダンサー、イダ・ルビンシュテインのためにストラヴィンスキーが作曲し、台本を担当したのが他でもない、アンドレ・ジッド。これは語りと独唱、合唱を伴う〈メロドラマ〉という形式で、しかも今回が日本初演。番組でこの公演があるという情報を知り、これは行くしかあるまい、と決意したのだった。

そのジッドが書いた語りは非常に象徴的で、半ば詩のような内容となっている。しかし実際に聴いてみると、ペルセフォーヌの言葉がフランス語で語られることは非常に効果的だった。これが歌だと、ともすれば感情過多になる嫌いがある。ペルセフォーヌは母親との親密性や、望まないまま花嫁にされる、といったところから非力な永遠の少女、といったイメージでもある。これが星座の物語からくるキャラクターとして考えてみると永遠の処女性=VIRGOとは確かに乙女座のことでもある。

ストラヴィンスキーの音楽がまたとても美しい。このジッドが書いた詩的なテキストを音に変換したらまさにこれ、という感覚だった。しかし初演当時は作曲家と台本作家の意見が合わず、双方とも作品にあまり満足してはいなかったようである。そこにあるのは「春の祭典」や「火の鳥」のような強烈なリズムと色彩感とは違う、神秘的でイノセントな世界。その中に時にストラヴィンスキーらしい、鮮やかに輝く音の瞬きがある。

icon-youtube-play ストラヴィンスキー「ペルセフォーヌ」(抜粋)

icon-youtube-play ストラヴィンスキー「春の祭典」

icon-youtube-play ストラヴィンスキー「火の鳥」

今回の日本フィルの公演ではテノールのポール・グローヴスが司祭ユーモルプとして進行役となって朗々と歌い、巨匠ラザレフがまた見事にこのオケと合唱とソリストたちをまとめていた。ペルセフォーヌ役は、女優であり歌手のドルニオク綾乃。かつてカリスマ・ダンサーとして、また女優として君臨したイダ・ルビンシュテインのために書かれたというこの役どころ。非常に難しいと思うが、フランスでバレエを学び、帰国後は役者と声楽の勉強もしているという彼女はまさにぴったりのキャスティングだ。

ここでのペルセフォーヌはゼウスらのはからいで地上に戻ることが叶う、となったにも関わらず、自らの意思で冥界の世界にも身を置くことを選ぶ。ブリュトンもまた自分を必要としていることをよく理解しており、自分の気持ちを無にすることで全ての調和を得ようとするのである。

そのキーワードは「美しき自己犠牲」。

奇しくもジッドの書いた台本には『狭き門』のアリサと同じ女性像が垣間見える。決断をすることは立派な行為だが、自らの感情や思いを捨て去ることはどうなのだろうか? 10代の頃はただその「美しき自己犠牲」に酔っ払っていた自分も、大人になり様々な思いを抱えるとともに、このペルセフォーヌの心を測りかねるのである。

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