RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
ヴィキングル・オラフソン。
ちょっと風変わりな名前であるそのピアニストはアイスランド人。聞けばアイスランドというのはファミリー・ネームという概念がないそうで、彼の場合もヴィキングルが名前でオラフソンというのは父親の名前にその息子、といった意味を持つ「ソン」を付けただけのことらしい。そういえばアイスランドと聞いて一番に頭に浮かぶのはポップ・ミュージシャンの「ビョーク」だが、確かに彼女にもファミリー・ネームはない。
ビョーク
そのヴィキングル・オラフソンのリサイタルを聴きに行くことにした。彼はドイツ・グラモフォンからアルバムを2枚リリースしているが、第1弾はフィリップ・グラスのエチュード集。そのアルバム・ジャケットの写真の彼は、まるで若き日のイヴ・サンローランのようだ。きっちりと分けた髪に黒縁の眼鏡をかけ、白いカッターシャツを纏っている横顔はスタイリッシュな印象で、やや作り込んでいる音質といい、最近流行りのクロスオーバー系なのかな、という印象だった。
フィリップ・グラス:エチュード第5番
しかし第2弾はバッハの作品集という意外なもの。彼はグラスなどミニマル・ミュージックばかりを演奏しているわけではなく、クラシックの王道レパートリーでも定評がある、との話だったのでちょっと興味を惹かれた。「グールドの再来」といったキャッチコピーは幾分使い古されている感もあるが、バッハとあれば一体どんな演奏なのか。ミュージックバードの番組でも新譜ということで紹介し、その際に私も音を聴いていたのだが、まずプログラムに目がいった。小品を散りばめ、オルガン・ソナタやコラール、カンタータなどのピアノ編曲版を間に挟みん込んだプログラム。これだけでちょっと一筋縄ではいかないピアニストだという直感が働いた。
紀尾井ホールは職場である半蔵門からも程近いので、日程的には繁忙期でも最悪コンサートが終わってから残り仕事を片付けることもできる。オラフソンはにわかに業界関係者の間でも前評判が高まってきていた。生音で聴く彼のピアノは果たしてどんな感じなのか? アルバム「バッハ・カレイドスコープ」からの楽曲の他に当日のプログラムにはベートーヴェンのピアノ・ソナタが入っていたのも興味津々だった。
ホールに着くと、いきなり曲目変更の表示。ベートーヴェンは第1番と第32番のソナタの予定だったが、第32番は第8番の「悲愴」へ変更、と書かれていた。これで落胆している人も多かったが、とりあえず席に着く。
やがてオラフソン本人が登場し、演奏の前に英語で「小品が続くのでその度に拍手はしないでほしい」とコメント。そして第1音が鳴った時、誰もがそのタッチと響きに驚いた。それはまさしく水面に雫がぽたりと落ちたように自然だった。鍵盤の底に真っ直ぐに届く透明度の高いタッチ。そこから繰り広げられるピアノの音は光を受けて輝く水飛沫のようだ。コメントの通り曲間のポーズはあまりとらずに次から次へと演奏が続けられていく。しかしそれは全く無理がなく、むしろ音楽的に繋がりが感じられるような錯覚を覚えた。それは調性だったり、或いは曲想だったり、彼がプログラムを考え抜いているのに他ならない。そして第1部が終わった時にはまるで一つの組曲を聴き終えたかのような感覚になるのだった。
後半はいよいよベートーヴェンのピアノ・ソナタ。初期作品である第1番はまだシンプルな音型に終始している。オラフソンの淀みないタッチとかなり速いテンポはなるほど、初期のグールドを思わせる。いわゆるドイツ的、重厚さや渋さ、といったものからは一線を画している。第8番「悲愴」も同じだ。冒頭のグラーヴェもこれみよがしに悲愴感たっぷりに弾くのではなく、敢えてオラフソンはどこかロマンティックな気分さえ与える。彼の演奏はモダン・ピアノという楽器の特性を最大限に生かそうとするもので、バッハにおいてもベートーヴェンにおいてもペダルをたっぷりと用い、和音は奥行きを持たせるように声部を際立たせる。この音の遠近感が奥行きとなり、陰影となり、全体の色彩となる。そう、まさに万華鏡=カレイドスコープのように。
ヴィキングル・オラフソン・プレイズ・バッハ
良い演奏は余韻を残す。その余韻が冷めないうちに私は続くサントリーホールのブルーローズで行われたフィリップ・グラスのプログラムも聴きに行った。エチュードは番号順ではなく、録音とほぼ同じ曲順。それはバッハと同様にオラフソンが曲の繋がりを考え抜いたものだ。ここで彼は演奏前にそのプログラムの流れとともにエチュードを2曲ずつ解説した。グラスのようなミニマルミュージックはともすると雰囲気に流され、単にBGMとしか聴こえないことも多いが、生で聴く彼のピアノは録音で聴くよりもよりエモーショナルで、メカニックな音の動きの中に遠近感は更にくっきりと示され、有機的な色合いを帯びる。そのプログラムの流れに客席がどんどん惹き込まれているのが感じられた。
フィリップ・グラス:エチュード第13番
そして最後のアンコールはラモーの「鳥のさえずり」とバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番の前奏曲。特にバッハの前奏曲ハ短調は先日の紀尾井ホールでも聴いたが、全く違うアプローチの演奏だったのはちょっと驚いた。アンコールで弾くのと本プロで弾くのでは同じ曲でも同じ演奏ではない、ということなのだろう。
バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第2番より前奏曲
ヴィキングル・オラフソン、この不思議なピアニストは只者ではない。
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