

RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
私が大阪のフェスティバルホールへ行くのは5ヶ月ぶりである。前回は9月にサイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団のバーンスタインとマーラーのプログラムを聴きたいがために遠征した。この冬、ヴァイオリニストのパトリツィア・コパチンスカヤと指揮者テオドール・クルレンツィスが主兵のムジカ・エテルナを率いて来日する、というニュースで周りは少し前から沸いていた。しかし気が付いた時には東京公演はソールドアウト。大阪公演ならばまだ多少チケットが残っていた訳である。私は再びの大阪行きを決意した。
彼らが一体何者なのか、ちょっと紹介しておこう。パトリツィア・コパチンスカヤはモルドヴァ出身のヴァイオリニスト。日本ではあのギドン・クレーメルとの共演で注目された。父親は民族楽器ツィンバロンの名手で、そうした出自もあるのだろう、その自由闊達で天衣無縫な音楽性、小動物のような愛くるしい容姿とともにその人気は止まるところを知らない。その彼女の盟友と言ってもいいカリスマ指揮者こそテオドール・クルレンツィスである。ギリシャ出身の彼はロシアで教育を受け、自身が創設したオーケストラ、ムジカ・エテルナを率いて独自の演奏スタイルを追求し、2017年にはザルツブルク音楽祭へもデビューし世界を驚愕させる。日本でもその録音がレコード・アカデミー賞を2年連続で受賞するなど大変な話題を振りまいている。今まさに、旬のこの2人の共演と言えば聴かないわけにはいかない。2月14日、私は午前中スーツケースを持って、アルゲリッチ音楽祭の記者会見場に顔を出してから、そのまま新幹線へ乗り込んだ。
その前に実はコパチンスカヤのヴァイオリンソナタを中心としたリサイタルがトッパンホールであった。これもすぐにソールドアウトだったので、たまたまご招待をいただいたのはとてつもなくラッキーだった。この日はプーランクやエネスク、バルトークのソナタなど、彼女のルーツを感じさせるプログラムで期待も膨らんだのだが、第一音が響いた瞬間から既にもう彼女の世界が立ち現れた。最初は椅子に座って演奏していたのだが、たまたま隣り合わせた、コパチンスカヤとも仲良しのオーボエ奏者、吉井瑞穂さんによると、アイコンタクトが重要な曲ではピアニストとの目線を合わせるためにそうしているのだとか。なるほど、これだけ自由にテンポもフレージングも自在に伸縮させていながら音楽として完璧なのはアンサンブルを非常に意識しているからに他ならない。この日はヴァイオリンとピアノという編成だけにとてもインティメートな雰囲気。アンコールでは楽器を鳴らしながら舞台袖に戻っていくなど、コパチンスカヤの魅力全開。実に素敵でチャーミングだった。それは彼女の着ていたふわっと膨らんだデザインの白のロングスカートと黒のブラウスのように(ピアニストのポリーナ・レシェンコは逆に黒のシガレットパンツに白のシャープなジャケットというバイカラー)、どこかイノセントで洒落た味わいのリサイタルでもあった。
パトリツィア・コパチンスカヤ
しかし大阪で彼女が弾くのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲である。巷では〈パチンコ娘〉なる愛称があるらしいコパチンスカヤだが、アンサンブルもオーケストラが相手では思う存分はっちゃけることができるのか? こんな心配もあっという間に打ち砕かれた。冒頭は意外なほどに軽く弾き始めたかと思うと、付点音符では既に踊り出している。クルレンツィスもコパチンスカヤの裸足のダンスに一歩も引かずに丁々発止で臨む。なんてエキサイティングなチャイコフスキー! 聴いている客席が一瞬にして飲み込まれる。それからはもう彼らの演奏に振り回されっぱなしで、音楽が膨らんだり縮んだりするごとにジェットコースターのごとく身体をあっちに持って行かれ、こっちに持って行かれ、私達は完全にそのスピードとパッションに身を委ねる他はなかった。こんな経験をこの聴き慣れたチャイコフスキーの有名曲でできるとは!
続く交響第6番もオーケストラコンサートの定番曲としての「悲愴」では全くない。特筆すべき点としてムジカ・エテルナの団員達は立って演奏するのだ。ある程度の人数のオーケストラが全員立って演奏するというのも珍しい。それだけを取っても指揮者が統率し、オーケストラがそれに従う、という図式を完全に崩した格好だ。そこにはやはり全員が作り上げる〈アンサンブル〉があった。クルレンツィスは突出した才能の持ち主で、熱い音楽を作り上げる能力は半端ないけれど、それはムジカ・エテルナから自発的に発せられるマグマのようなエネルギーに満ちた音をまとめる役割であり、あくまで彼も仲間の一人なのだ。それにしてもそのエネルギーの源である彼ら一人一人の演奏能力の高いこと! それは時折浮き彫りになるクラリネット、ティンパニ、トランペットなどの音色を聴くだけでも明らかだ。
テオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナ
そして終楽章の音が消えた瞬間から後の余韻の長さ。ああ! それはなんと濃密で魂を揺さぶられる時間だったかを物語っていた。こんな圧倒的な演奏が聴けるなんて、まだまだクラシック音楽の世界も捨てたものじゃない。
その夜は普段お酒を呑まない私もアドレナリンが上昇し、祝杯を上げ、珍しく少し酔っ払ってホテルに戻ったのだった。
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