RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)
音楽コラムという名のもとに好き勝手を書かせていただき、はや2年経つのだが、いわゆる音楽評論ではないにしても、自分が聴いたコンサートの感想などはやはり多くなる。今回もプロの評論家が書きそうもないことを含めて感想文を書いてみよう。
それは先日のトッパンホール。ミュージックバードではこのトッパンホールのライブ収録をそのまま番組として放送しているため、私もちょくちょく聴きにいくのだが、ホールの規模からいって、いつもプログラムは室内楽がメインである。しかしこの日は小編成のオーケストラとはいえ、協奏曲を含むプログラムだった。
2016年にその独自の主催公演活動が認められ、サントリー音楽賞を受賞したトッパンホール。ホールが受賞する、ということも前例がなかったが、都心とはいえ、少し駅から離れた立地や既に数多く存在している都内の音楽ホールの中で存在感を示すには、その優れた音響空間とともにプログラミングも大切な要素だ。まさにトッパンホールが評価されるのはそうした意欲的な姿勢にある。若手の育成にも力を入れ、〈ランチタイムコンサート〉〈エスポワールシリーズ〉などは優れた若い実力派の演奏家による旬な演奏を聴くことができる。今回の公演はその受賞記念コンサートとしながら〈シュニトケ&ショスタコーヴィチプロジェクト3〉 となっており、これまでの活動の中の一つとして位置付けているのがいかにもこのホールらしい主張だ。
番組「トッパンホールトライアングル」
プログラムはメッセージ性の強い内容でもある。旧ソ連の作曲家シュニトケの作品で、クレーメル、バシュメット、ロストロポーヴィチのために書かれた協奏曲で始まった。若手ヴァイオリニストの山根一仁、ヴィオラにニルス・メンケマイヤー 、チェロはピーター・ウィスペルウェイが登場。続いてヒンデミットのこれもヴィオラ協奏的作品「白鳥を焼く男」、後半はショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番、最後はワーグナーのジークフリート牧歌。オーケストラはトッパンホールでもお馴染みのソリストや在京オケの首席クラスで構成。指揮は井上道義である。
ソリストたちは普段番組でも紹介している一流アーティストばかりなので、その演奏をライブで聴くのはとても楽しみだった。前日にも同じプログラム公演があり、それを聴いたピアニストの島田彩乃さんがーー彼女とはひょんなことから最近知り合い、親しくなったのだがーー、とても面白いコンサートだから2日続けて聴きに行くことにした、と連絡をくれたのである。彼女はヴィオラのメンケマイヤーとも共演経験があり、そんな島田さんが言うことであればきっと素敵なコンサートに違いない。またウィスペルウェイも私の大好きなチェリストで彼の無伴奏のバッハやブリテンの録音などは好んでよく聴いていたので彼の演奏するショスタコーヴィチのチェロ協奏曲は特に楽しみだった。
ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第1番
トッパンホールの小さめの空間だと細かなアンサンブルもよくわかる。ソリスト級が顔を揃えているとはいえ、臨時編成の小オーケストラではこの難曲をこなすのは相当大変だとは思うが、井上道義の指揮のもと見事に聴かせてくれた。
ヒンデミットではメンケマイヤーの芳醇なヴィオラの音色が晦渋なイメージのこの曲に潤いをもたらした。それにしてもメンケマイヤー、ひときわ長身痩躯な印象だったのだが、炭水化物抜きダイエットで15キロ近く減量したというのは驚き(島田さん情報)。
ニルス・メンケマイヤー (Vla)
そして休憩後にいよいよショスタコーヴィチ。冒頭からチェロの力強いソロが鳴り響くが、ウィスペルウェイが奏でるとオケにも緊張感が走る。私は彼が実演で演奏するところは初めてだったが、唸る、吠える、歌う! あのグールドをはじめ、演奏家の中には自らの内なる音楽が息遣いや歌声になってしまう人も少なくないが、彼もどうやらそのタイプだ。しかしこのタイプは演奏もエモーショナルで濃いめになりがちと思いきや、ウィスペルウェイはピッチもテクニックも乱れないし、熱いパッションは漲っているもののどこかクールな印象も多分にある。彼の中の音楽的フィルターがそのマグマのような熱情を濾過し、雑味のない澄んだ音で供される。これがウィスペルウェイの特徴だ。私の隣には先程まで壇上にいた山根一仁さんらしき人が座っていたが、やはりウィスペルウェイの演奏に聴き入っているようだった。
ピーター・ウィスペルウェイ(Vc)
ウィスペルウェイのこの演奏っぷりには録音で聴く印象とは少しギャップがあって驚いたのだが、彼に昔インタビューをしたというK氏の話をふと思い出した。約束の時間になっても現れない彼に散々待たされて、その間に平謝りだったのは共演者のピアニスト、デヤン・ラツィック氏だったとか。結局当人のウィスペルウェイは寝過ごしていたことが判明。そんなウィスペルウェイとこれまたエキセントリックな魅力の指揮者、井上道義の丁々発止はまさにコモドドラゴンとワニの対決といった様相であった。そういえばウィスペルウェイの作っている録音レーベル名は〈イーヴルペンギン〉。イーヴルとは「邪悪な」とか「悪の」という意味だ。彼のイメージがなんとなく掴めたような気がする。
この日は受賞記念ということでホール主催のレセプションもあり、それを確かめたかったような気もするが、私は残り仕事がたんまりとあったので、泣く泣くスタジオに戻った。
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