RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
3月に入って予定していたコンサートは軒並み中止となってしまった。私のスケジュール帳も予定のないブランクの日が多くなった。正直こんなことは近年なかったので、これからこの時間をどうやって使ったらいいのか持て余しているほどだ。普段後回しにしていることも多いので、結局はそれをこなすことで終わってしまうことになるのだろうが、先日は手付かずだった確定申告の書類を作成するので一日費やしてしまった。今回のコロナウィルスの影響は一個人で考えても計り知れない。
少し前まで小さな会場でのイベントやコンサートはまだ開催していたものの、それぞれ運営元の判断で開催決定をした結果、それがネット上で叩かれたりして、そんなニュースを目にする度になんとも嫌な気持ちになってしまう。街中ではマスクはおろか、トイレットペーパーや除菌グッズまでが一部の買い占めで消えてしまうし、転売も多いと聞く。それにしてもこのままコンサートやイベントの中止が続けば、関連会社の中には経営が立ち行かないところも出てきてしまうだろう。出演するアーティスト達にもそのツケが回ってきてしまう。我々のようなフリーランスで働く業界の人間はダイレクトに収入が断たれてしまうので死活問題だ。予想外のこととはいえ、国や行政がもっとしっかりと音頭をとらないと日本経済は泥沼の中に沈んでしまうだろう。
こんな状況の中、今のところ唯一鑑賞可能なエンターテイメントが映画である。これも試写会などは中止になるところがちらほら出始めているので、これからどうなるかわからないが、その中で印象深かった作品について書いてみようと思う。
まずはロイヤルバレエの映画「ロミオとジュリエット」。通常のライブビューイングかと思いきや、これは純然たるバレエ映画である。つまり、通常の映画と同じくセットを組み、ロケーションを再現した中でバレエとして演じられる。バレエなので当然セリフはなく、ダンサーも踊りを通して物語を繋いでいくわけである。冒頭、その精巧に再現された16世紀のヴェローナの街中に、タイツ姿の男性ダンサーが現れた時は少し違和感もあったのだが、それも一瞬でシェイクスピアの名作の世界に引き込まれて行った。主役を演じるジュリエットのフランチェスカ・ヘイワード、ロミオのウィリアム・ブレイスウェル、ティボルトのマシュー・ボール……。英国ロイヤルバレエが誇るダンサー達の見事に鍛錬された身体から繰り広げられるダンスと演技力には目を奪われる。なかでもマシュー・ボールの華やかな容姿と存在感は抜群だった。そして何よりもマクミランの人間の心理を抉り出すような振付と、プロコフィエフの音楽のドラマ性が圧倒的な先導役となっているのである。(動画①)
映画「ロミオとジュリエット」予告
もう一本はお馴染み、METライブビューイングからベルクの歌劇「ヴォツェック」、ウィリアム・ケントリッジの新演出である。ケントリッジはドローイング・アニメの手法を使った現代美術家。METでは近年ショスタコーヴィチの「鼻」、ベルクの「ルル」で演出を手掛けており、私はどちらも鑑賞したのだが、その風刺画的なアニメーションが独特の味わいを持って効果を放っていた。特にこうした現代オペラでは時にコミカル、時にシニカルにトーン補正された舞台が難解さを取り去り、作品本来の主題がありのままに迫ってくるような世界を作り上げるのである。今回の「ヴォツェック」もまさにそうで、これはドイツの劇作家ゲオルク・ビューヒナーの未完の戯曲をもとにし、ベルク自身が音楽と台本を書いている。作曲者が台本も書いていることは、音楽と言葉が一体となってドラマを構成しているという点において更に説得力を増す。
そのあらすじ。床屋上がりの兵士ヴォツェックは、内縁の妻マリーとの間に息子もいるが、貧しさから医師の人体実験のアルバイトをするなど常に精神的に不安定である。そんな彼との生活に疲れたマリーは若く逞しい鼓手長と不倫関係になるが、事実を知ったヴォツェックは錯乱状態となりマリーを殺害。自らも沼で溺れ死ぬ。翌朝マリーの死骸が見つかり、子供達が「君のお母さんは死んだよ」と息子に告げる……。
全編繰り返し現れるアニメーション映像には、作品全体を覆う陰惨な空気の元凶ともいえる、戦争の象徴として〈ガスマスク〉がモティーフになっている。ヴォツェックの息子もガスマスクを模した顔の人形で表現されており、これがコロナウィルスで世界が震撼している現在の状況で登場することのシンクロニシティ。当然無表情の息子が看護師に支えられて舞台に残るラストは悲しくも恐ろしい終末だった。(動画②)
METライブビューイング「ヴォツェック」予告
メジャーとはいえない通好みのドイツオペラ、さほどキャパが大きくない二子玉川の映画館で鑑賞したせいもあってか、観客が10数名しかいない日曜日の劇場を後にすると、「ヴォツェック」の世界である19世紀にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
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