RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
先日、ジャズ・ピアニストのチック・コリアが亡くなった。するとFacebookの友人がそのチック・コリアとフリードリヒ・グルダによるモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲の音源を投稿していた。この共演は一見意外な気もするが、ジャズを共通言語とする二人のピアニストは仲も良かったようである。しかもオーケストラは鬼才ニコラウス・アーノンクール指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。なかなか個性豊かな顔ぶれである。この音源の存在は知っていたが、実際じっくりと聴いたのは初めてだ。ピアニスト二人のジャズ的なアプローチは影を潜めているものの、両者の音楽は実によく絡み合い、心底楽しそうな音がきらきらと弾けていた。
モーツァルト:2台ピアノ協奏曲K365byチック・コリア&フリードリヒ・グルダ(P)
モーツァルトの2台ピアノといえば、私も高校生の時に友人と共演したことがある。曲はソナタ ニ長調K448。ピアノという楽器は1台でオーケストラの音を再現できるほど楽器として完成されている。また全ての楽器の基本でもあり、演奏人口も多い。しかしそれだけにアンサンブルの機会は他のソロ楽器に比べると極端に少ない。そのせいもあってピアノをやっている人はどこかでアンサンブル渇望期というのが必ずやってくるような気がする。私も音楽科の高校に入学して、周りに音楽仲間が増えたことも刺激になり、まずは同門の友人とデュオを組んだのである。私とその友人は全くタイプが違っていた。背が高くて手も大きな彼女は自己主張が強く、演奏映えのする派手な楽曲を好んでいた。対して私はどちらかというと大袈裟な感情表現は苦手で、細かいパッセージや軽いタッチの楽曲に向いているタイプ。そんな正反対な二人だったが、いざ一緒にモーツァルトを弾き始めると、代わる代わる登場するソロのフレーズでは相手の個性的な音楽を受け止めつつ、自分なりのニュアンスで返答する。これがめちゃくちゃ楽しい。
モーツァルト:2台ピアノのためのソナタK448
この曲はあの人気漫画「のだめカンタービレ」でも主人公で型破りな天才タイプの「のだめ」と正統派の優等生で先輩の千秋が初めて共演する場面で使われていた。この丁々発止は連弾よりも、五分五分の勝負感がある2台ピアノだからこそ生まれるスリルだ。これはヴァイオリンとピアノとか、弦楽四重奏だとか、アンサンブルとして半ば自然の組み合わせとは違うところが肝かもしれない。ピアノ対ピアノ。がっぷり四つ感が堪らないのである。
世の中には兄弟や姉妹、夫婦など家族でピアノ・デュオを組む人も多い。常に近くにいる存在の方が呼吸を合わせやすい、というのもある。この代表例では美人姉妹デュオとして一世を風靡したフランスのラベック姉妹。しかし、ラベック姉妹もジャズや即興を得意とする姉のカティアと室内楽を好む妹のマリエルで個性の違いがはっきりしている。しかし、その呼吸がぴったりとシンクロしているのはさすがというべきか。彼女たちのために書かれたアメリカの作曲家ブライス・デスナーの2台のピアノのための協奏曲の動画がスタイリッシュだ。
ブライス・デスナー:2台ピアノ協奏曲byラベック姉妹(P)
また普段ソロ・ピアニストとして活躍している人が2台ピアノを組む、というのも魅力的だ。例えばマルタ・アルゲリッチ。彼女自身が超個性豊かな天才ピアニストだが、その共演者はいつもヴァラエティに富んでいる。彼女の場合、弟子や実生活のパートナーというパターンも多いが、アレクサンドル・ラビノヴィチとの共演は彼女の自由奔放なピアニズムを楽曲として破綻する一歩手前で制御している感じが実に微笑ましかったりする。ここでは鳥肌もののエフゲニー・キーシンとの超絶技巧のデュオを。
ルトスワフスキ:パガニーニ変奏曲byアルゲリッチ&キーシン(P)
少し前に私が番組のゲストでお会いした中で印象深かったのは河村尚子さんと小菅優さんというデュオ。どちらも一流の人気ピアニストとしてソロとしての活動がメインだが、同世代でドイツでは近所に住んでいたこともあり、意外にもとても仲良しだという二人。スタジオでの会話は日本語で話すのがまだ苦手、という小菅さんへ気遣いを見せながらゆったりとしたおおらかな語り口の河村さんと、やや緊張気味に音楽や演奏に対する思いを慎重に言葉にする小菅さんと、そのお互いのピアノの個性そのままに好対照でありながらとてもいいコンビだったのを覚えている。
河村尚子
小菅優
しかしともすれば2台ピアノというのは技術的にも難しい楽曲が多いせいか、弾きこなすことに集中し過ぎてしまうことも多く、聴く耳を持ったアーティストでないと、ガチャガチャした感じになる危険性も大いに孕んでいる。何度かコンサートで聴いて散々な思いをしたこともある。普段ソロ・ピアノだけを弾いている、特に硬いタッチのピアニストは要注意である。
さてそこで今、私が期待しているのはヴィキングル・オラフソン。彼が2台ピアノをやったらどんなピアニストを選ぶのだろう? 先日、ヴァイオリンの庄司紗矢香とのコンビでも素晴らしいアンサンブルを披露してくれた彼。あっと驚くようなアーティストとコンビを組んでスリル満点のデュオ・コンサートを聴かせてくれるのではないだろうか。
ヴィキングル・オラフソン
春を待つ蕾のように私の頭の中は妄想が膨らんでいる。
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