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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

バレンタインデーとウエスト・サイド・ストーリー

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

少し前の話題で恐縮だが2月のイベントといえば世間的にはバレンタインデーである。番組制作の現場ではこの話題に全く触れないわけにはいかない。しかし近年儀礼的な意味でのバレンタインデーは職場では衰退しつつある。スタジオでもチョコレートの受け渡しが全くないわけではないが、もともと個人的にこの手のイベントに積極的に関わらないタイプの私。無駄に年齢も重ねているので逆にチョコレートを貰ってしまったりすることも多い。周りに気を遣わせてしまう体質を何とかしたいものである。しかも今年はこの時期に雪が降ったりして、さすがの私も在宅ワークが多かった。

思えば2008年のヒット曲、パフュームの「チョコレイト・ディスコ」の歌にあるような、女性が大挙して訪れるデパ地下も、期待している男性も今は少数派である。クリスマスと同様に欧米のイベントが日本でおかしな形でデフォルメされるのはいささか滑稽でもあるが、コロナ禍を経て、家族など本当に大切な人と過ごすバレンタインデーというのが主流になったような気がするのは、発見かもしれない。

icon-youtube-play Perfume「チョコレイト・ディスコ」

そんな心穏やかな日曜日に珍しく休みだった私は、思い立って一人で映画を観に行くことにした。稀代の名作ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」。これをあのスピルバーグ監督がミュージカル映画としてリメイクして話題となっている。

原作はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。これを下敷きに、レナード・バーンスタインの音楽、スティーブン・ソンドハイムの作詞、ジェローム・ロビンスの振り付け、アーサー・ローレンツの脚本により1957年にブロードウェイで初演された。その後1961年にロバート・ワイズ監督らによる映画版も作られ、ジョージ・チャキリス、ナタリー・ウッドなどハリウッドの人気俳優によって演じられ、アカデミー賞11部門にノミネートされる空前のヒット作となった。

icon-youtube-play West Side Story(1961)

数々の名作を残しているスピルバーグがミュージカルを撮るのはこれが初めてとのこと。新たな映画版もアカデミー賞7部門にノミネート。スピルバーグがすごいのは、隅々までリアリティを追求している点である。ニューヨーク、マンハッタンのウエストサイドを舞台に対立する不良少年グループ、ヨーロッパ系の「ジェッツ」とプエルトリカン系の「シャークス」。その2つに引き裂かれる悲劇の恋人、トニーとマリア。ビジュアル的にも説得力を持つようにシャークスのリーダー、ベルナルドやその恋人アニータ、そしてベルナルドの妹マリアなどは実際にプエルトリカン系の俳優を起用。彼らが歌う街中での「アメリカ」やダンスパーティーでの「マンボ」は単独でもコンサートなどで演奏されることの多い人気ナンバーだが、エキサイティングな歌とダンスが物語をぐっと立体的にする。

舞台の場合、どうしても限られたスペースに動きが止まってしまうような場面がある。しかし映画では空間を無限大に演出できるのが強みだ。有名なバルコニーの愛のシーンや、冒頭の再開発の進む街の風景などはオリジナルに忠実に表現されており、名作をよく知る人にも違和感を与えない。しかし引きの画が多かった前作と比べ、上空からの俯瞰や逆に地面から上昇していくカメラワークなど、「スターウォーズ」を思わせる大きくメリハリの効いた映像は躍動感に満ちている。

また前作にも出演していたリタ・モレノが今作もドラッグストアの女主人として、プエルトリカンとヨーロピアンの橋渡し役として重要なバレンティーナを演じている。

更にニューヨーク・フィルとロサンジェルス・フィルを振り分けている、ベネズエラ出身の指揮者、グスターヴォ・ドゥダメルが奏でる音楽がとにかくエネルギッシュで高揚感がある。これだけの面子を揃えられるのはさすが巨匠スピルバーグの存在感というところだろうか。

icon-youtube-play 映画「ウエスト・サイド・ストーリー」より

また改めてこの作品の持つ普遍性を考えさせられた。人種的な対立はもちろん、ジェンダー問題、戦後の資本主義経済の生む様々な摩擦や矛盾、アメリカという大国の光と影を内包する。奇しくも作詞家のソンドハイムは映画公開直前に91歳で亡くなっている。一つの時代の終わりは新型コロナという思い掛けない分断の時代にも楔を打つ。それでもこれだけ完璧なエンターテインメントとしてプレゼンテーションできるのもまたアメリカという国の一つの側面なのだ。

ラストは悲劇に終わっても、対立の中に揺るぎない愛を見出す物語は夫婦や恋人同士で観るには最良の映画でもある。映画館の中にはカップルと思しき二人連れが多かったのも、これはこれで幸福な光景である。

夜の上映時間2時間半が過ぎると既に23時を回り、2月のバレンタインデー前夜は雪が舞い始めていた。

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