
RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
甲子園が夏の終わりを告げるように、クラシック音楽の世界ではサントリーホールサマーフェスティバルが毎年8月の終わりに開催されるのが恒例となっている。約1週間に渡りサントリーホールが主宰する現代音楽の祭典で、期間中には日本の作曲家、芥川也寸志の名を冠した作曲賞の発表もあり、委嘱作品を含む世界初演も多く行われる。
このサマーフェスティバルでは中でも最も前衛的な作曲家の作品を取り上げている。現代音楽も食わず嫌いしてはいけない、と毎年2、3日顔を出すだけなのだが、印象深いコンサートもいくつかあって、このコラムでも取り上げたりした。
今年はオーストリアの現代音楽の演奏を専門とするアンサンブル、クラングフォルム・ウィーンがプロデューサーとなってプログラムを企画。彼らが演奏する大ホールでのオーケストラ作品、何はともあれ、まずはこれを聴きに行った。
5つの作品が並ぶプログラムの実に4作品が日本初演。オーケストラといっても小編成のアンサンブルだが、メロディーやわかりやすい構成はほぼ皆無。現代音楽モード全開である。このレベルになると楽曲の判別は素人には困難である。楽器の特殊奏法による普段とは違うテクスチャーの音色だとか、音量のデュナーミクやベクトルの違いくらいだろうか。〈音楽〉というよりも〈音〉として捉えた方がある意味わかりやすいのかもしれない。比較的オーディオ関係の人は現代音楽を好むのも一理ありそうである。作曲家のプロフィール、作品の成り立ちだとか、はたまた作曲家自身のコメントなどを読むことで理解度が上がるので、この手のコンサートはプログラム解説が重要である。これを片手に怯まず耳を傾けてみる。
この日は武満徹の「トゥリー・ライン」が唯一知っている作品だったが、知らない人ばかりの集まりにようやく知り合いを見つけた、みたいな感覚で、改めてその叙情性豊かな音楽に心底ほっとしてしまった。
武満徹:Tree Line
さて、次に聴いたのは室内楽プログラム「ウィーンの現代音楽逍遥」(第2夜)ブルーローズでの公演。ここではヨハン・シュトラウス2世、ウェーベルン、ベルク、シェーンベルク、マーラーといった普段からお馴染みの作曲家の名前が並ぶ。とはいっても〈現代音楽〉の祭典なので、シェーンベルク編曲版の「皇帝円舞曲」だったり、マーラーの「子供の不思議な角笛」からの歌曲もグラールやティドローといったカナダ人作曲家の編曲など一捻りしたものとなっている。演奏が現代音楽専門のクラングフォルム・ウィーンなだけに、やや強面のウェーベルンやベルクが切れ味のある演奏で印象に残った。
またソプラノのカロリーネ・メルツァーが存在感抜群で、歌も素晴らしかったが、真っ赤なレースのドレスと、歌い終わってから拍手に答えてお辞儀をするたびに波打つ長い髪がまるでクリムトの絵画から出てきたような世紀末ウィーンのムード満点で素敵だった。
最後に出かけたのは「クセナキス100%」というギリシャの現代作曲家ヤニス・クセナキスの生誕100周年を記念したプログラムである。以前にもパーカッショニストの加藤訓子さんがクセナキス作品を大々的に取り上げたコンサートを聴きに行って感銘を受けたのだが、更にコアなプログラムは「ペルセファッサ」と「クラーネルグ」の2作品。もちろん私が耳にするのは初めての作品ばかりである。先にも書いたが、見知らぬ作品はプログラム解説が手掛かりになることが多いので手に取ると、以前番組でもお世話になった音楽学者の沼野雄司さんがクセナキス作品について書かれていた。この2作品はあまりにもクセナキス成分が濃厚で、特に「クラーネルグ」は初めて聴いた時には馴染めなかった、と。
この文章が頭に残ってしまったわけでもないが、 「ペルセファッサ」が打楽器というパフォーマンスを伴う楽器のための作品ということで、むしろその迫力と6人の奏者の配置による立体的な音響の面白さがあって楽しめたのに対し、件の「クラーネルグ」。
クセナキス :ペルセファッサ
バレエ音楽として振付師ローラン・プティとカナダの国立芸術センターの要望で作曲されたという。オーケストラとテープのための、と題された通り、75分の長大な作品は大きく3つのパートに分けられる。そのいずれにも加工処理されたノイズ系電子音のテープが使われる。特に3つ目のパートではこのテープ音が長尺で流れ、それが会場の四方から取り囲むような音響に晒される。
8月の終わり、その少し前にテレビで観た終戦特番のドキュメンタリー映像が脳裏に焼き付いていたせいだろうか。テープの電子音がまるで機関銃のような、戦火を逃げ惑う人間の叫び声のような、阿鼻叫喚のイメージと重なって離れない。クセナキスは第二次世界大戦中レジスタンスとしても活動し、その際に顔の左側を負傷している。激動の時代を生き抜いた作曲家の音楽に込められた想像を絶する精神の強靭性は時に暴力的で、生理的にもはや限界値に達したところでステージ上のアンサンブルが生音を発した。生身の人間が発する音、というだけでこんなに温かく聴こえるとは。(動画③)
クラングフォルム・ウィーン
クセナキスは迂闊に触れると危険な音楽だ。やはり〈現代音楽〉は一筋縄ではいかない。
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