

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
新年度を迎えたのと同時に、国のコロナウィルスの扱いが一段階緩くなったことも影響してか、世の中の様々な動きが加速している。
先日、ドイツの名門レーベルであるドイツ・グラモフォンの記者会見が上野の東京文化会館で行われた。音楽をCDで買う機会は少なくなり、音源ファイルを配信サイトでダウンロードするか、サブスクリプションで聴くか、といった時代である。それでもクラシック音楽はジャンルの性質上、まだCDで聴くことも多いのだが、今回の記者会見はドイツ・グラモフォンが独自で音楽と映像の配信サイト「ステージプラス」日本版を立ち上げる、というものだった。
ドイツ・グラモフォン「ステージプラス」
少し前から世界のオーケストラがやはり自分達で音源を作って配信することも増えたが、その最たるものがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だろう。伝統あるオーケストラであり、世界のナンバーワンともいわれる実力を兼ね備えた彼らが、いち早くオリジナルコンテンツを作り上げたのは、これからの音楽業界を生き残っていくために、王者であっても安住はできない、という決意があったからなのだろうと推察する。そういう意味ではドイツ・グラモフォンも綺羅星のごときアーティストを抱えたクラシック音楽レーベルの最右翼ではあるが、先手を打ってきたというわけである。(動画②)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
折しもその直前に、日本の音楽ソフトを批評する「レコード芸術」誌が休刊になるというニュースが流れたばかりである。これには私もちょっと驚いた。しかしインターネットでの情報収集がこれだけ一般化し、レコード会社や関連会社の広告収入も少なくなり、本来批評するべき対象である肝心のディスクが以前とは違ってリリースが極端に減っているにも関わらず、誌面の構成や基本的な方針がずっと同じだったことを考えると、どこかに無理が生じても不思議はない。ましてやこのご時世、インクやコストも値上がりして印刷代も馬鹿にならないと聞く。「レコ芸」だけでなく紙媒体はかつてない苦境に立たされているに違いない。
かくいう私が制作を担当していたミュージックバードのクラシックチャンネルも既に新制作は東条碩夫さんの出演する番組だけとなってしまった。レコード芸術誌の執筆をされていた音楽評論家の方々には番組で幾度となくお世話になったことを考えると、二重の意味で非常に残念な気持ちになる。
記者会見には若手ピアニストのヤン・リシエツキの姿があった。今回、東京春音楽祭にも出演するために来日、彼の東京での演奏もライブ配信され、今後音源もアーカイブされていくという。私はその週の金曜日に、やはり東京文化会館の小ホールで行われる彼のコンサートに行くつもりだったので、こんな状況の中でもそれはとても楽しみにしていた。
ヤン・リシエツキはポーランド系カナダ人。その出自もあってドイツグラモフォンからはショパンの練習曲集を録音している。近年、練習曲を録音するピアニストは少なくない。録音技術の進歩もあるのだろうが、とかくテクニックを駆使した煌びやかな演奏が主流で、かえって無個性で1曲1曲の味わいも薄れてしまう。特に若い奏者にはその傾向が強い。しかし、リシエツキはどこか風流な味わいというか、柔らかなタッチでテンポも中庸でじっくりと聴かせる演奏に好感を持っていた。番組でも幾度となく選曲した彼の演奏。今回はその練習曲と夜想曲を組み合わせたプログラム、というのが魅力的だった。
ショパン:練習曲Op10第1番ハ長調byヤン・リシエツキ(P)
当日のプログラムは調性をまとめて、絶妙に練習曲と夜想曲を組み合わせることで、全体を一つの組曲のように構成したのが面白かった。それを考慮して曲ごとの拍手をしないようにと始めに会場にアナウンスがあった。実際のライブで聴くと、リシエツキのピアノはとてもエモーショナルで、音楽の流れにまかせてテンポも自由自在、速いパッセージは圧倒的に速い。かと思うと空間に微かに響く弱音のタッチは決して疎かにせずしっかりとしていて、優しいピアノを弾くピアニスト、という印象はかなり覆された。それに全体を俯瞰した和声感など、常に音楽を大きく捉えようとする感覚は、指揮者向きかもしれない、などと思ったりした。(実際に協奏曲では弾き振りをしている映像もあった)
ショパン:『ドン・ジョヴァンニ』の「お手をどうぞ」の主題による変奏曲byヤン・リシエツキ(P)、NDRエルプフィル
アンコールにはポーランドの首相を務めたことでも有名なパデレフスキの小品を持ってくるあたり、完璧なコンセプトに感心。とはいえ、やっぱりショパンという天才の存在の前には敵わない。パデレフスキの曲はリシエツキが弾いてもそんなに魅力的には聴こえないと個人的には思ってしまったのだが。それも含めてリシエツキは何かをプレゼンテーションしているようでもあった。
音楽を廻る状況がコロナ禍を経て様変わりしていく中で、レーベルもメディアも演奏家達もまた独自に活動を模索し、新しい方法でそれを発信していかなければならない。そんな時代の節目に差し掛かろうとしている。
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