
RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
パトリツィア・コパチンスカヤ。彼女を何と呼ぶべきか。もちろん稀に見る才能を持つ音楽家であることは確かなのだが、その存在感は現代のクラシック音楽界におけるジャンヌ・ダルクか、アイドル(隣の席の男性もオペラグラスで覗き込んでいた)、はたまたパフォーマー、もしくは真にアーティスト、と呼ぶべきなのか。いずれにしてもモルドヴァ出身のこの型破りなヴァイオリニストが来日公演を行う、となれば何をおいても聴きに行きたい。そんなふうに思うのはもちろん私だけではない。
パトリツィア・コパチンスカヤ
今回は東京都交響楽団との共演でリゲティのヴァイオリン協奏曲を弾く、という。2023年はハンガリーの作曲家、ジェルジ・リゲティの生誕100年に当たる。冒頭と最後にもリゲティを置き、真ん中にバルトークという、ハンガリー音楽でまとめたかなりの強面プログラムだ。指揮は音楽監督の大野和士。そしてこの日は長く都響のコンサートマスターとして活躍してきた四方恭子の最後のステージでもあった。そんなトピックが重なり、サントリーホールは満員だった。
それにしても国のコロナ対策が緩やかになったことで、ホールの中でもマスクを付けない人がちらほら存在した。それを見てぎょっとすることももはやなくなり、この日演奏されるバルトークの「中国の不思議な役人」では合唱も伴う。海外勢のアーティストの来日も、ロシアなど政治的な問題は抜きにして、ほぼ通常通りになりつつある。
コパチンスカヤといえば、指揮者クルレンツィスとの共演が印象深い。コロナ前には彼らの来日コンサートを大阪まで聴きに行って、その奇想天外な演奏に驚かされたものだが、日本では「パチンコ娘」なる異名もあるくらい、破天荒なヴァイオリニストだ。最後に演奏される「マカーブルの秘密」では声(歌?)も披露されるという。彼女は録音でも声をフィーチャーした独特の音楽を集めたアルバムをいくつか発表している。「声」は調弦された音だけではない、多彩な音色を出すことができる。おそらく彼女は「音」に対する感覚が恐ろしく広く、豊かなのだろう。
個性的なのはその音楽だけではない。私は彼女のステージファッションもいつも注目している。ポスターの彼女を真似て、自分も黒の山高帽を被って出掛けた。なりきりコパチンスカヤである。ステッキでも持ったらちょっとマジシャン風に見えたかもしれない。
それはともかく、リゲティ祭りである。まずはピアノのための練習曲集第1巻より「虹」。アブラハムセンによる室内オーケストラ編曲版は、一聴すると静かな美しい楽曲といった印象だ。しかしリゲティは複雑で数学的な楽譜を書くことで有名だ。オリジナルのピアノ演奏は技術的にもかなり難曲だということ。
さて意外にもコパチンスカヤは白のふわりとしたフェミニンなドレスを纏っていた。裸足なのはいつものことだが、それがいっそう妖精のような雰囲気を醸し出していた。しかし、演奏が始まるとその可憐な姿からは想像もつかないエネルギーが放出される。「パチンコ娘」ここにあり。凄まじいテクニックと圧倒的なパッションで体を揺らして弾きまくる。特に度肝を抜いたのは終楽章である。最後のカデンツァは譜面も奏者の自由な裁量に任される。足を踏み鳴らし、叫び声を上げるコパチンスカヤのテンペラメントにオケも指揮もたじたじ、といった風情。いやはや、参りました! と言わんばかりの拍手が客席から巻き起こる。その後のソリストアンコールがまた素敵だった。勇退する四方恭子とのデュエットが微笑ましく、即興で「さくらさくら」のメロディーも聴こえてきたりして、客席は一気に和む。
リゲティ:ヴァイオリン協奏曲
休憩後はガラリと大編成のオーケストラとなり、バルトークの「中国の不思議な役人」。打楽器を多用した民俗色豊かな楽曲は、合唱も加わる。大音量と原色の色彩感だが、そこには都響特有のクールな大アンサンブルという要素もあった。
そして、またまたステージ変換。リゲティの「マカーブルの秘密」は音楽というよりもまるで演劇のようなパフォーマンスに近い作品だった。最もこれはコパチンスカヤという特別なアーティストの存在がそうさせたのかもしれない。
もとの物語はプログラムによると、架空の国に彗星がぶつかり、滅びるであろうという予言により混乱する人々を描いたオペラで、この抜粋をまとめたものが「マカーブルの秘密」である。作曲された当時の世相を反映し、旧東ドイツの秘密警察やナチスのゲシュタポ、ソ連のKGBなどをパロディ化した内容になっているそうだ。
リゲティ:「マカーブルの秘密」より
ピエロのメイクを施した彼女が舞台に出るなり、喋りまくる。その甲高い声色と謎の言語のパフォーマンスにただただ圧倒される。オケや指揮者も言葉を発するのだが、彼女に比べると振り切れていない。自戒も含めてだが、やはり日本人はこういう時思い切りが足りないようだ。
明らかに通常の次元を超えたステージに私たちは終始振り回され、最後にはヴァイオリンを高々と掲げて舞台を去るコパチンスカヤに大完敗なのだった。
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