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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

テツラフと新ウィーン楽派

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

少し前のことになるが、すみだトリフォニーホールでの新日本フィルハーモニー交響楽団の定期公演を聴きに行った。錦糸町は職場である半蔵門からは地下鉄で一本なのだが、近頃はスタジオで仕事することが減っているので、少し億劫に思えてしまって、すみだトリフォニーホールに向かうのは随分と久しぶりだった。駅からはさほどの距離ではなく、真っ直ぐな道を行くだけなので、方向音痴の私でも安心である。久しぶりなので少し早目にホールに到着した。

私は2階の「北斎カフェ」で開演前にコーヒーを飲んだ。新型コロナ感染症に対する国の位置付けが第5類になるということで、会場での飲食も営業再開しているところが多くなった。土曜日午後のせいか開演前のカフェは殆ど人がいなかったが、飲み終わったカップを下げて客席に向かおうとした時、お店の方が「行ってらっしゃいませ」と声をかけてくれたのが妙に嬉しく感じた。

さて、この日私がお目当てにしていたのは、ヴァイオリニストのクリスティアン・テツラフだった。切れ味抜群な彼のヴァイオリンで聴くベルクの協奏曲が聴けるとあって、急いでチケットを手に入れたのだ。しかも指揮はやはり現代音楽を得意とするドイツのインゴ・メッツマッハーで、前後は新ウィーン楽派の作曲家の初期作品。全体のプログラムの流れも私好みだが、やはり馴染みの曲が少ないせいか、オールドファンより若い人が客席に多いような気がした。

icon-youtube-play 新日本フィルハーモニー交響楽団公式より

ということで私は冒頭から楽しみで席に着いた。ウェーベルンの作品1の「パッサカリア」はバロック時代の舞曲形式に基づいた変奏曲。ブラームスを思わせる、重厚でまだロマンティックな面影を残す作風の音楽は聴きやすさもあり、比較的演奏される機会も多いが、こうしてオーケストラの生音で聴くのは久しぶりである。シェーンベルクの弟子でもあったウェーベルン、後半のプログラムへの序章としてもぴったりだった。

icon-youtube-play ウェーベルン:パッサカリア

そしてお次はソリスト、テツラフの登場。最近は口髭をたくわえ、長めのゆるいウェービーヘアを後ろで結んだちょっとボヘミアンな風貌だが、若い頃の彼は横分けヘアにインテリっぽいメガネをかけた、神経質そうなルックスだったことを思い出す。隙のない演奏で無伴奏作品をバリバリやるようなイメージはあの外見も大いにあったような……。いつからボヘミアン(?)になったのだろうか。

ベルクのヴァイオリン協奏曲は12音技法の強面の現代作品ではあるが、「ある天使の思い出に」という美しいタイトルが付けられている。これはあのアルマ・マーラーと建築家グロピウスの愛娘マノンに捧げられたもので、ベルクは若くして亡くなったマノンをことのほか可愛がっていたという。そんな芸術家たちの交流の中で生まれたこの曲を、テツラフは完璧な技術と圧倒的な集中力で聴かせる。不協和音を多用するオーケストラのサウンドの中、消え入るような弱音も、複雑で激しいパッセージも、ヴァイオリンの音は埋もれることなく、かといって力むこともなく、自然に客席まで一直線に届いてくる。私が1階席で、ヴァイオリニストが楽器を構える目線の先に座っていたせいだろうか? それともメッツマッハーのバランス感覚に優れた指揮のなせる技なのだろうか? 最後にはバッハのコラールの引用も聴こえ、緊張感の中に一瞬の祈りが垣間見える。その緊張と弛緩のメリハリが美しく、この曲の演奏の最高峰といってもいい素晴らしいパフォーマンスだった。

icon-youtube-play ベルク:ヴァイオリン協奏曲

そして最後はシェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」。ベルギーの劇作家メーテルランクの戯曲をもとにしたこの素材は、ドビュッシーのオペラが非常に有名である。オペラの構想もあったようだがシェーンベルクは交響詩という形でライトモティーフ(示導動機)を用い、4楽章のような構成の中で忠実にストーリーを追っている。

icon-youtube-play シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」

謎めいた若い女性メリザンドと、夫ゴローの弟であるペレアスとの禁断の愛。嫉妬にかられるゴローはペレアスを殺し、夫の執拗な疑いに憔悴するメリザンドもやがて死す。幻想的で官能的な物語を、音のパレットで緻密に描く。しかしその色彩はドビュッシーとは違って非常にダークで重厚である。もちろん視覚的要素のあるオペラのような分かりやすさはないものの、凝縮された楽譜の中から、メッツマッハーとオーケストラが実に見事に物語を紡ぎ出していた。それは「浄夜」にも通じるような音世界。この日はメッツマッハーと新日本フィルハーモニー交響楽団が重厚なオーケストレーションを膨らませながら、20世紀ウィーンの音を味わわせてくれたように思う。

新日本フィルハーモニー交響楽団は新音楽監督に佐渡裕を迎えて新シーズンが始まる。人気ピアニストの辻井伸行と共演するほか、シャルル・デュトワのフランス・プログラムや久石譲が彼の新作とマーラーを振るなど多彩なプログラムも揃っている。

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