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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

オルフェーオの物語

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

近年、国内外ともに優れたカウンターテナーがたくさん登場している。

もともと女性が歌うことが禁じられていた中世ヨーロッパの教会において、聖歌隊ではボーイソプラノやボーイアルトが高音域を受け持っていた。しかし声量や表現力が弱いボーイソプラノ、ボーイアルトに対して、成人男性が裏声で高音パートを担当したのがカウンターテナーのはじまりである。

しかし変声期を迎えて高音が出なくなってしまう男性特有の成長を止めるために「カストラート」と呼ばれる去勢歌手が現れたのは、教会だけでなく舞台でも声に強さと美しさを兼ね備えた歌手の必要性が高まったオペラ全盛期、17〜18世紀時代のことである。あのベートーヴェンも少年の頃、素晴らしいボーイソプラノだったことから一部では去勢が望まれていた、という話がある。

人権問題にも関わることから、カストラートは時代とともに徐々に衰退していった。それに代わってカウンターテナーが増えていったわけだが、更に20世紀後半以降、ピリオド楽器の復興とともにオリジナル志向が強まり、発見、発掘されるようになった作品も増えてレパートリーに加わっていった。その流れの中でバロックオペラの上演機会が増えたのは音楽ファンにとってはとても喜ばしいことである。

そんな中でやはり別格の存在なのが、フィリップ・ジャルスキーだ。バロックオペラの分野での活躍はもちろん、録音でもそれまでアルトが歌っていたレパートリーを歌い、そのアルバムコンセプトが常に斬新で新鮮なことも彼の存在感を一際大きくしている。

ジャルスキーは1978年フランス生まれ。ワーナークラシックのサイトによると、ロシア革命を逃れてフランスに渡った祖父が入国の際、「私はロシア人です」と答えたのが姓として登録されたというエピソードがあるらしい。11歳からヴァイオリン、15歳からピアノを習い始めるが、少々遅めのスタートだったので、ヴェルサイユの音楽院に和声や作曲を学ぶために入学した。ヴァイオリンはディプロマも取得したが、18歳で声楽に転向。音楽院在学中の1999年にスカルラッティのオラトリオ「エルサレムの王セデーチア」でデビュー。師事していたニコル・ファリアンがフランス近代歌曲の専門家であったことから、フランス歌曲のアルバムも発表している。私がジャルスキーの名を印象深く知ったのはおそらくこのアルバムを聴いた頃からだった。

「オピウム」と題されたそのアルバムは、ベル・エポックの香り漂うフランス歌曲を集めている。特に冒頭のレイナルド・アーンの「クロリスに」は、どこかバロック的なムードを称えながらもアンニュイな魅力に満ち、優美なメロディーに吸い込まれるような歌曲で、ジャルスキーの歌声で初めて聴いた時には衝撃的でさえあった。(動画①)

icon-youtube-play アーン:クロリスに

そのジャルスキーがコロナ禍を経て、来日した。テーマは「オルフェーオの物語」。「オルフェオとエウリディーチェ」といえば、ギリシャ神話としても有名な物語。竪琴の名手オルフェオが毒蛇に噛まれて死んでしまった妻のエウリディーチェを、冥界から条件付きで救い出すことを許されるのだが、決して妻の方を振り返ってはいけない、というその条件を最後の最後に耐えられず、後ろを振り返ってしまう。

この物語は様々な作曲家がオペラやバレエとして音楽を書いているが、3人の作曲家を中心にした「オルフェオ」で辿っていく、というコンセプトのコンサート。モンテヴェルディを軸に、サルトーリオ、ロッシ、カヴァッリなどから作品をピックアップしていく実にジャルスキーらしい凝った内容である。(ちなみに同じコンセプトのアルバムも発表されている)

icon-youtube-play オルフェーオの物語

エウリディーチェ役にはハンガリー出身のソプラノ、エメーケ・バラートが共演。バロックオペラで活躍する彼女も素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。そしてジャルスキー手兵のピリオド楽器グループ、アンサンブル・アルタセルセが瑞々しい響きをもって彼らの歌に寄りそう。  

さて物語のクライマックスとなる後半、オルフェオがたまらずエウリディーチェを振り返り、永遠に彼女を失ってしまうという愛と絶望を、ジャルスキーがドラマティックに歌い上げ、舞台は突如暗転。このフィナーレにはぐっと心を鷲掴みされた。愛するが故に自ら招いてしまった喪失。世界を襲ったパンデミックや戦争の中で、どれほどの人が愛する人を失っただろう。悲しくも切ない結末にやるせない気持ちを持て余していると、アンコールで二人が歌ったのは、モンテヴェルディのオペラ「ポッペーアの戴冠」の二重唱「ただあなたを見つめ」。

icon-youtube-play モンテヴェルディ:ポッペーアの戴冠より「ただあなたを見つめ」

これを聴いてやるせなさに絡まった心の糸を解すことができた。それは失われてもなお愛を求める二人の想いであり、魂がまるで浄化されるような、美しいアンコールだった。

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