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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

蝶々夫人とダイバーシティ

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

4月からポッドキャスト番組いくつかを担当している。

その中のひとつで、アメリカ人弁護士のライアン・ゴールドスティン氏をメインパーソナリティに据えたビジネス系トーク番組の中で「ジェンダー」をテーマにしたことがあった。ゴールドスティン氏はアメリカでもトップクラスの法律事務所に所属、現在では東京オフィスのマネージングパートナーである。日本とアメリカを頻繁に行き来する氏は日本語も堪能で、ビジネスに於いてはもちろん、日本の文化にも造詣が深く、その違いや疑問点を率直に話してくれるので非常に面白い。中でも私が現在の日米間で落差を感じたのがこのジェンダー問題である。

https://audee.jp/voice/show/61791 icon-external-link 

現代のアメリカではビジネスの現場でも外見上男性だからといって安易にHeで呼びかけることは禁物である。HeかSheか、本人に確認しないといけない。「男らしい」だとか、「女らしい」という形容詞もご法度になってきている。

ハリウッドを発端にした「Me Too」問題も記憶に新しい。現代のアメリカではうっかり職場の部下の女性に向かって「今日はきれいですね」などと言おうものなら、それは立派なセクハラになるという。容姿の美しさを褒めるのではなく、服装のセンスであるとか、趣味がいい、という点を褒めるならばセーフ。何事にも極端な傾向があるアメリカ社会だが、日本では容姿や年齢、女性だから、男性だからということでなぁなぁになっていることを、雑談や冗談の中でもうっかり口にしてしまうことが多い。私自身、それを違和感なくやり過ごしてしまっているが、実は非常に根が深い問題かもしれないと思う。

前置きが長くなったが、先日「蝶々夫人」のバレエを観に行った。熊川哲也監督率いるKバレエカンパニーの舞台である。彼がローザンヌ国際バレエコンクールで優勝した当時、テレビでその中継を熱心に観ていたのを思い出す。日本人として初めてのゴールドメダルを受賞して世界でも最も伝統ある英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルにまで昇りつめたダンサーが、今では日本を代表するバレエ団を組織するまでの存在になった。彼がオペラの名作をバレエに置き換えるとどんな風になるのか非常に興味があった。オペラでは何度も観ている「蝶々夫人」だが、プッチーニの音楽が非常に美しく、ドラマティックなので、つい忘れてしまいがちだが、ジェンダー的視点で観ればこれはかなり問題のある筋書きである。

蝶々さんを捨てたことに対して罪の意識から歌うアリア「さらば愛の巣」はあまりに酷いアメリカ男という印象を払拭するために後から付け足したというのは有名な話だ。ピンカートンとその妻に最愛の息子を渡し、自害する蝶々さんの人生を思うと、古典作品だと分かってはいても、どこかモヤモヤしてしまうのがこの「蝶々夫人」なのである。

今回の舞台では〈歌ありき〉のプッチーニの音楽は一部のみで、他にはドヴォルザークのスラヴ舞曲や弦楽セレナードが使用されていた。ドヴォルザークに罪はないが、やはりプッチーニの音楽が一貫して物語性を貫いているのに対し、断片的な印象があった。オペラとしての「蝶々夫人」を軸に観てしまうと音楽の面で物足りなさがあるのだが、しかし、バレエとしての〈見せ場〉を作る意味では、ピンカートンの人生をクローズアップすることで彼の葛藤を表現したり、切腹シーンを冒頭に持ってきたり、群舞でショーアップしたりと工夫があった。また、日本的な所作をダンスに採り入れたり、番傘を持ったダンサー達の東洋的な色合いの衣装も美しく、このあたりはさすがに日本を舞台にした作品として、熊川哲也の面目躍如というところだろう。「蝶々夫人」は素材としての魅力に満ちていることは確かである。

icon-youtube-play Kバレエカンパニー「蝶々夫人」

うっすらと感じるのは「Me Too」以降、エンターテイメントの世界、殊にアメリカではかなりジェンダーや人種といった問題に敏感になっているのではないかということ。例えばメトロポリタン歌劇場での公演も、最近は黒人やアジア人の歌手を積極的に起用している印象がある。学ぶ機会が増え、優秀な歌手が育ってきたということかもしれないが、いずれにせよ伝統の世界にも新しい意識が生まれてきているのか。

最近もうひとつ衝撃的だったのが映画「TAR」。現代に生きる女性指揮者をケイト・ブランシェットが演じている。架空とはいえかなりリアルな描写は、主役のリディア・ターが性的マイノリティーであることも含めて、様々な問題を象徴していた。

この映画については別の機会に書いてみたい。

icon-youtube-play 映画「TAR/ター」予告編

しかしまたディズニーの映画「リトルマーメイド」の実写版では黒人俳優ハリー・ベイリーが主役を務めたことで物議を醸している。こちらはオリジナルキャラクターのイメージと違うという否定的な意見があるようだが、オペラなどでは日本人の蝶々さんを外国人が演じることがほとんどなのに、それもおかしな話である。

icon-youtube-play 映画「リトルマーメイド」実写版予告編

本格的なダイバーシティが文化芸術の世界にも押し寄せているのかどうかは、まだわからない。

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