RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
私の母の実家は東京都葛飾区の下町で、かつて蝋燭屋を営んでいたという。私が物心ついた頃にはお店自体はクローズしていたが、蝋燭が飾られた古びた店先はまだ母屋に隣接していた。そこには昔のドラマに出てくるような番頭台があって、そろばんや伝票も棚の中にしまわれており、子どもだった私たちの格好の遊び場となっていた。比較的広い土地があったので、母屋の前には私たちが遊ぶには充分過ぎるくらいの庭と、おそらくは土地を貸していた小さい工場もあったりして、どこまでが家の土地なのか判然としない感じだった。
サラリーマン家庭だった私たち家族5人は郊外の一戸建てに住んでいたが、それに比べると母の実家はまるでワンダーランドだった。母屋と反対側には別棟のお風呂があり、その先にある賃貸アパートの出入口の向こうには駄菓子屋さんがあった。夏休みになると妹やいとこたちとよくアイスを買いに行っていたものだ。お店や工場が隣接しているため、そこで働くおじさんやお手伝いのおばさんも家族のように母屋に出入りしていて、何かと私たちを可愛がってくれた。
母の実家にはお正月や夏休み、法事の時くらいしか訪れる機会はなかったが、駅からの道のりがまた冒険だった。大通りから歩くこともできるが、小さな商店街のアーケードを抜けていくのが近道で、そこから迷路のような細い路地を通り、まるで他人の家に入り込んでしまうかのような裏道を行くと、大通りに出る。そこからあの「西川キャンドル」の看板が見えてくるのだった。そんな下町の風景は今も私の記憶の中に残っている。
先日、とあるライブを聴きに北千住のカフェに向かった。知り合いのSNSから流れてきたそのタイトルは「忘れちまったかなしみに」。
主催者は布施砂丘彦という一風変わった名前の方で、コントラバス奏者でありながら音楽評論も書き、様々な公演をプロデュースしているらしい。ここでは企画だけでなく音楽や演出も担当している。なかなか才能ある若者のようだ。小編成のアンサンブルに俳優とダンサーも出演する。音楽と演劇と舞踊。プログラムもバッハのカンタータから始まり、モーツァルトやジェズアルドがあるかと思えば、ライヒ、ペルトなど現代作曲家も含まれる。その構成も興味深いし、それを小さなライブ空間でやるにはやはり演出力が物を言う。お盆休みで比較的時間も空いていたので、私は土曜日の18時からの公演を聴きに行くことにした。
初めて降り立つ北千住の駅。そこから会場のカフェBUoYに向かう。BUoYと書いて「ブイ=無為」と読むらしい。駅からはGoogleマップによると10分弱、とあるのでそれを頼りに最短ルートを行く。するとわりとすぐに住宅街の路地に入り、幼い頃歩いた葛飾の下町の映像が私の脳内でオーヴァーラップした。夏の日差しは少し傾きかけていたが、まだかなり暑いせいか人通りは少ない。時々庭先で話しているおばあさん同士や、買い物帰りらしい住人を一人二人見かける程度だ。ほどなくして大通り沿いのBUoYに到着した。
会場はカフェの地下のスペースにあり、意外と広い。コンクリートの壁に剥き出しの配管があり、薄暗い空間はエアコンが効いていてかなりひんやりとしている。学校のプールの更衣室のような匂いがした。少し時間があったので2階のカフェスペースでアイスコーヒーを飲む。こちらはドライフラワーやアンティークの小物が置かれた瀟洒な雰囲気で、大きめのテーブルには電源もあり、Wi-Fiも使える。
開演時間になり、地下のスタジオに降りていく。60ほどの客席はほぼ人で埋まっていた。有名なバッハの「主よ人の望みの喜びよ」が流れる。やがて俳優が登場し「音楽」の持つ意味を問うような台詞を叫び、退場。その後はオーケストラの演奏が続く。要所要所でエネルギッシュなパーカッションの活躍が印象的だ。本多悠人という奏者の名前がクレジットされている。
休憩のない公演だったが、ちょうど半ばくらいに配置されたライヒの「振り子の音楽」。天井から吊るされた複数のマイクが振り子となってスピーカーの前でブーン、ブーン、と音を放つ。それが次第にずれていく様は、地下空間の暗闇の僅かな照明の中で視覚的には不気味でもあり、同時になぜか安心感を与えられる。そういえば振り子は催眠術にも使われることがある。
ライヒ:振り子の音楽
後半はいわゆるノイズ系の現代音楽が混じり、その中で踊られるコンテンポラリーダンスはまるで神経を冒された人のように痛々しい動きで、シューベルトの「死と乙女」の主題が苦しみの中で亡くなった人を悼むように変奏される。トイピアノの使い方も効果的だった。私もかつて番組の中でジングルとして使用していたことがあるペルトの「鏡の中の鏡」。音数も少ない究極のシンプルな構造ながら、神秘的で不思議な魅力を持つこの曲は最近つとに耳にする機会が増えた。ストーリー性のあるこのステージのフィナーレでは祈りの音楽として聴こえてくる。
ペルト:鏡の中の鏡
昔の記憶と不思議な余韻を抱えて北千住の町を再び歩いていたら、途中でピアスを片方落としてしまった。すっかり日が暮れた道端では見つかるわけもなく、諦めて立ち上がると、通りかかった猫が私の顔を見て「ご愁傷様」とでも言うように夜の路地に消えて行った。
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