RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
私が長年制作に携わってきたミュージックバードのクラシックチャンネルの番組が2月末で終了となる。衛星放送という特殊な形態はインターネットで気軽に音楽をダウンロードする現代において継続するには難しくなっていたのかもしれない。時代の流れの中で仕方ないことではある。
2022年の12月で殆どの新制作番組が終了。この決定を聞いたのは9月半ばで、その頃私はコロナに罹患してようやく復帰した途端のことだったので、少なからず衝撃だった。唯一残っていたのが音楽評論家の東条碩夫さんの出演で放送していた「エターナル・クラシック」。これも昨年2023年の12月に全ての収録を終えた。
東条さんには私がラジオディレクターとして仕事を始めた頃から一緒に番組をやらせていただいていた。ミュージックバードは有料放送で尚且つ高音質を謳っていたのでこだわりの強いリスナーが多い。制作者側も音には意識を高く持たなければならない。クラシック音楽特有の余韻や、ナレーションと音楽のレヴェルの細かいバランスなども、最初は東条さんに随分しごかれた記憶がある。途中ブランクがあったものの、久しぶりに一緒に番組ができることを光栄に思っていた矢先だった。最終日の収録でもこれが最後という気がしなくて、不覚にも写真を撮ることさえ忘れてしまった。
TOKYO FM時代からディレクターとして活躍し、いくつもの伝説的な番組を制作してきた東条さんはミュージックバードを立ち上げたプロデューサーでもあった。当時まだ毎月100枚近く発売されていた新譜を全て紹介する「新譜紹介」を、1日6時間というボリュームのプログラムで放送していた。「エターナル・クラシック」最後の放送はこの「新譜紹介」初回のプログラムをいくつか踏襲したものになった。
最終回のテーマタイトルは「告別の歌」。小澤征爾の指揮するバッハの「トッカータとフーガ」、そしてベートーヴェンの「第九」で始まる。どちらも同じ二短調なのでシームレスでも違和感がない。二短調という調性はどこか端正で気高いイメージがある。
バッハ:トッカータとフーガ (ストコフスキー編)
続いてワーグナーの「ワルキューレ」から「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」。ワグネリアンの東条さんらしい告別の音楽だ。大神ヴォータンが愛娘を魔の炎の中に眠らせ、いつの日か英雄によって目覚めることを願い歌う壮大な場面だ。
ワーグナー:「ワルキューレ」より〈ヴォータンの告別〉
そしてマーラーの交響曲「復活」。もはやラジオ放送でこのような長大な音楽を、続けて放送できる番組はなくなるだろう。その復活を心のどこかで待ち望みたい気持ちもある。
マーラー:交響曲第2番「復活」
最後にはシュヴァルツコップの歌う「4つの最後の歌」。文字通り、リヒャルト・シュトラウスの最晩年のオーケストラ伴奏付き歌曲だが、人生の終盤における諦観と美しい陶酔に満ちた音楽が、ヘッセやアイヒェンドルフの詩に乗せて歌われる。終曲の「夕映えの中で」のラストのひばりの囀りにも似た管楽器のトレモロが永遠の別れを告げる。
R.シュトラウス:4つの最後の歌
エリーザベト・シュヴァルツコップは往年のドイツの名ソプラノ。1972年の来日時のリサイタルはTOKYO FMのスタジオで自ら監修し、貴重な録音としてCDが発売されている。東条さんはその時にシュヴァルツコップと直に接し、その穏やかで気さくな人柄についてご自身の著書にも度々書かれているし、番組でも語っている。
チャンネル終了に伴っては放送局内の変革も生じる。「新譜紹介」や、やはり音楽評論家の山崎浩太郎さんの出演で長く放送していた「ニューディスク・ナビ」で使用していたことで、圧倒的に数の多いクラシックのCDだが、今後必要がない(!)ということで1月末までの処分が決まった。放送局内のレイアウト変更が行われることもあり、ライブラリーに所蔵されているそれ以外のCDと一部のクラシックCDのみは全てデータ化されることが決まった。確かにデータ化することでその分のスペースが空く。効率を重要視する企業の論理からすれば当然のことではあるのだが。
ざっと数えてもクラシックのCDは2万枚以上。現在では廃盤になってしまっている貴重な音源もある。またオペラなどは対訳や解説書が重要な資料となる。数々の番組で使用してきたこれらのCDは東日本大震災の際には、地震の揺れで棚から落ちて散乱し、スタッフ総出で片付けた記憶もまだ昨日のことのように思い出す。
どうにかこれを廃棄せずに残せないか模索してみたのだが、個人レベルで保管できる分量ではないし、データ化するのも膨大な手間と時間がかかるので、結局は幾つかのCDを個人的に持ち出すのがせいぜいだ。大学の図書館などにも問い合わせたりしてみたのだが、大型の寄贈はどこも人手不足でそれを分類、整理する余裕がないということで断られてしまった。
時代の流れというのは淘汰されてしまう側がいつもある。クラシック音楽に関わる様々な人や物、コンテンツがこんなにもあっさりなくなってしまうことに、心に穴がぽっかり空いたような寂しさが残る。
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