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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

渋谷能〜観世流『自然居士』

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

この季節になるとさまざまな文化系の公演や催し物は夏休み企画が増え、子どもや初心者向けのプログラムが多くなる。親子で楽しむ企画や、初めてそのジャンルに触れる人、普段はあまり行き慣れない客層を意識したイベント感覚の催しも多い。各オーケストラやコンサートホールが趣向を凝らした企画をやっているので、クラシック音楽ファンとしてはこの機会に是非出掛けて欲しいと思う。

そこで私もそうした夏休み企画を楽しんでみようと思い立った。クラシック音楽については普段そこそこ聴く機会があるので、今回は能である。もちろんこれまでもイベント的な薪能が好きで、各地でいろいろ観てはいるのだが、コンサートに比べればまだまだ接する機会が少なく、観ていない演目も多い。

「渋谷能」はその名の通り渋谷にあるセルリアンタワーの能楽堂で行われているシリーズの能である。若手役者を応援する趣旨もあり、彼らが自ら選曲し積極的に企画に携わっている。三夜の公演は各回シンプルに能の一演目のみでそれぞれ流派が違っているのも面白い。前後には専門家や役者のプレトークとアフタートークが付いて、予習復習できるのでじっくりと作品に集中できる。また第四夜には仕舞や狂言を上演するという、能を体系的に理解するのにも最適である。これまでは仕事の都合もあり、何となく一回のみとか、その時の気分に合うプログラムを観る感じだったので、今回は満を辞してこのシリーズ全部を堪能しようと思う。

icon-youtube-play 渋谷能2024年2月7日

セルリアンタワーはホテルを併設しているので、その中にあるレストランやラウンジでの食事、アフタヌーンティーとセットになったチケットも発売されている。これなら初めて観る人にも興味を持ってもらいやすい。最近では美術展などの内容とコラボしたメニューを掲げたレストランやカフェを見かけるが、食と組み合わせるのはなかなか良いアイディアだと思う。第一夜のこのコラボ企画チケットは既に売り切れだったが、私はセルリアンタワー東急ホテルのロビーラウンジ「坐忘」で開演前に少しくつろぐことにした。ここ「坐忘」は都心の真ん中でありながら中庭を設えた涼を感じる空間で和のスイーツも豊富に揃っている。あまりの暑さにこの夏は少々胃が重く、各所でかき氷をお目当てにしている私は、定番の宇治抹茶と悩んだ末、コーヒーとチョコレートという、新作の珍しいメニューを選ぶ。ふわふわの氷の中にバニラアイスクリームが隠れていて、これが全体の形状を保つのによいバランスで、トッピングにはカカオパウダー、チョコレートシロップが別立てになっているので甘さも調整できる。いい塩梅で体が冷えたところで温かいコーヒーを飲み、程よく心身満たされたところで開演時間となった。

ガーデンラウンジ「坐忘」のかき氷
ガーデンラウンジ「坐忘」のかき氷

エスカレーターを降りて地下フロアの厳かな能楽堂へ。ここは座席にもゆとりがあり、遅れて入ったとしても他のお客さんが席を立たなくても中に入れる広さに安心感がある。

第一夜の演目は「自然居士」。初めて観る演目はプレトーク解説が大いに参考になる。しかしそれだけでなく、最近では希望する人にタブレットを渡し、現代語訳で能を鑑賞できるというシステムも導入されている。私はタブレットを希望しなかったけれど、両隣の女性は熱心にタブレットを見ながら舞台を鑑賞していた。昨今は外国人の観客も多いから他言語での表記も可能らしい。文明の利器とはよく言ったものだ。

「自然居士」は観阿弥の代表作。息子の世阿弥が「夢幻能」を理想としたのに対し、どちらかというと演劇的な要素の強い、筋立てと台詞の掛け合いで見せる作風だ。両親の供養のために人商人に身を売った少女を知り、自然居士は説法を途中で切り上げ、少女を助けるべく琵琶湖の湖畔まで追いかける。そして舟に乗り込み、人商人と巧みな交渉をしながら遂に少女の解放を承諾させ、その代わりに所望された舞や太鼓の芸を見せる。台詞を書いたシートが配られているので、あらすじを目で追いつつ全体を脳内で構成しながら鑑賞できた。

渋谷能2024年7月26日
渋谷能2024年7月26日

若手役者が意欲的に選曲しただけあって、よりわかりやすく台詞を増やしたり、ところどころ演出にも工夫を凝らしたと、見事にシテを演じた観世淳夫さんがアフタートークで話していた。それだけに役者同士の会話の呼吸、丁々発止のやり取りには大変な迫力とリズム感があり、地謡もそれに呼応して、まるでオペラ合唱のようにこのドラマを盛り上げていた。幽玄の世界とはまた違った生命力溢れる舞台は、若い役者ならではの味わいがあり、これも能の魅力のひとつだと思わせる。

アフタートークでは次回のシテを演じる金春流の本田芳樹さんと流派の違いによる「自然居士」を語っていて興味深かった。最近はクラシック音楽のコンサートでもこうして出演者がトークも担当することが多いが、特に本田さんは心地よいソフトな響きを持ったお声をしていたのが印象的。第二夜の「融」ではどんな舞台を観せてくれるのか今から楽しみである。

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