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こどものためのバレエ劇場『人魚姫』

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

夏休み企画を楽しむ、能の次はバレエである。

子どもの頃、アンデルセンの童話集を買い与えられて熱心に読んでいた。なかでも私が好きだったのが「人魚姫」。泳ぎが苦手だったのもあるが、母親からおかっぱ頭を強制させられていた私は、長い髪を水中で靡かせて泳ぐ人魚姫に憧れていた。童話はハッピーエンドに終わることが多いのに、この人魚姫だけはラスト、王子への想いが届かずに海の泡となって消えてしまう。子ども心にどうにも納得いかない感じがした。マイノリティーとしての疎外感や自己犠牲。そんな言葉を知らなくても悲しい結末に何かしら感覚を刺激されていたような気がする。

そんなことを思い出していた時、新国立劇場でこの「人魚姫」が新作バレエとしてラインナップされていたのを見つけた。新国立劇場へは普段オペラを観にいくことが多い。ちょこっとバレエをかじっていた経験もあるので、バレエ鑑賞自体は好きなのだが、ついつい海外の来日公演を選んでしまう。しかし新国立劇場は日本のトップダンサーと舞台を備えたバレエ団でもある。若い振付家やダンサーが活躍する、夏休みの「こどものためのバレエ劇場」をこの機会に観てみようと思い立った。

icon-youtube-play 新国立劇場バレエ団「人魚姫」トレーラーより

バレエ公演は女性客が多いのだが、さすが夏休み、母と娘という組み合わせでの親子が圧倒的に多い。こうしたバレエ少女や少年の中から将来有望なダンサーが生まれるのかもしれないと思うと、微笑ましい気持ちになる。若いダンサーの推し活と思しき女性の一人客もちらほら。ひょっとしたら私もそうした一人に思われているのかもしれないが。

さて、「人魚姫」の物語はアンデルセンが昔から伝わる人魚伝説を基にしたと言われる。

海の底にある王国では人魚姫が姉たちと平和に暮らしていた。人魚姫は初めて海上へ出ることが許される15歳になった時に、難破した船から海に投げ出され漂っていた王子を助け、恋をする。しかし王子は気を失っていたため、人魚姫に助けられたことを知ることはない。王子を忘れられない人魚姫は海の魔女を訪ね、美しい声と引きかえに尻尾を人間の足に変えてもらう。しかし、王子の愛を得られなければ海の泡となって死んでしまう、とも告げられる。人間の姿となった人魚姫の足は歩くたびに苦痛を伴うが、それでも王子のもとで一緒に暮らすようになる。しかし声を失った彼女は王子を助けたことも、愛を伝えることもできない。やがて王子は隣国の姫君と婚約してしまう。これを知った人魚姫の姉たちは自分たちの美しい髪と引きかえに海の魔女からナイフを手に入れる。そのナイフで王子を刺し、その血を浴びることで人魚に戻れることを妹に伝える。しかし人魚姫は愛した王子を傷つけることができず、そのまま海に飛び込み泡となってしまう。

物語をバレエにする場合、ダンスとしてのバランスや見せ場、といった要素を作らなくてはならない。海の魔女の衣装がタコの足のスカートになっていて、恐ろしい魔女というよりはディズニーの「リトル・マーメイド」を意識したようなコミカルなキャラクターとなっていた。演じたダンサーの個性ある演技も見事。コール・ド・バレエでは王子と姫君の婚約のニュースで街の人々の驚きと喜びの様子とともに、号外を出す新聞記者たちなどのキャラクターが登場し、ユニークな振り付けに。音楽は序盤、海の王国のシーンでは主にドビュッシーを使用して神秘的な音色が海の輝きを思わせ、中盤ではグリンカやロッシーニの序曲でリズミカルに、モーツァルトのピアノ協奏曲では優雅なパ・ド・ドゥ。最後もおなじみのサティの「ジュ・トゥ・ヴ」で、あくまで愛らしい仕上がりの舞台となっていた。

こどもためのバレエ劇場2024「人魚姫」
こどもためのバレエ劇場2024「人魚姫」

人魚伝説に基づくオペラというと、ドヴォルザークの「ルサルカ」がある。オペラでは王子は人間に姿を変えたルサルカと結婚するのだが、口をきけない彼女に不満を持ち、別の王女に心を移す。居場所のなくなったルサルカは水の中へ戻され、魔法使いに王子をナイフで刺せば元の世界に戻れることを告げられるが、彼女はそれを拒否する。王子は後悔してルサルカを追うが、水の妖精たちに人間の罪を聞かされ絶望し、自ら望んでルサルカと一緒に水の中に沈んでゆく。

icon-youtube-play ドヴォルザーク:オペラ「ルサルカ」より

結末が違うと全く別の話のようである。より人間臭い王子は心変わりをしたもののそれを悔やんで、最後はルサルカとの死を選ぶ。情念とどこか怪談のような趣の「ルサルカ」もなかなかに夏向きな気がするが、ここは少女のいじらしい想いを描いたバレエ「人魚姫」が夏休みにぴったり、ということになるだろうか。

最後にオーストリアの作曲家、アレクサンダー・ツェムリンスキーが作曲した、ずばり「人魚姫」と題された交響詩をご紹介しておこう。バレエにするには少し華やかさが足りないかもしれないが、物語を追った描写的な音楽は、もう少し手を加えたら立派な劇音楽になりそうだ。

icon-youtube-play ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」より

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