RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
私は現在、エフエム世田谷で障害を持つ方にフィーチャーした番組「SETAGAYAハート・ステーション」を担当している。
30年前の阪神淡路大震災をきっかけに注目を集め、以降、日本各地でたくさんのコミュニティFM局が誕生しているが、インターネットやSNSの台頭もあり、地域の情報を電波と音声で届けるということは必ずしも順風満帆とは言い難くなってきている。しかし災害など、突発的に起こる非日常的な空間では、常にお年寄りや子ども、障害を持つ人など弱者に皺寄せがくるのもまた事実で、そうした時に日頃から地域に根差した情報を発信している、コミュニティFM局はやはりとても大切な存在だ。今年初めの能登地方の地震でも、地元のコミュニティFM局が震災直後から頑張っていたのがまだ記憶に新しい。声には温度がある。テレビなどに比べて情報量は少ないかもしれないが、距離が近い分、生身の声は心細い時、人々の心に寄り添い、希望と安心感を届けてくれるのではないだろうか。
エフエム世田谷は自治体である世田谷区との連携も強く、全国的にも恵まれた放送局だといえるだろう。母体である世田谷サービス公社は福祉や医療のサービスを提供していることもあり、障害者支援も積極的に行なっている。「SETAGAYAハート・ステーション」が誕生したのはそんな環境のおかげである。
先日はゲストにヴァイオリニストの和波孝禧さんをお迎えした。和波さんは生まれながら視力に障害をお持ちだが、既にそんなハンデを全く感じさせないキャリアを築いている。日本音楽コンクール第1位、ロン=ティボーやカール・フレッシュ国際コンクールでも上位入賞、サントリー音楽賞や紫綬褒章、旭日小綬章など、受賞歴も多数。私などはクラシック音楽番組に関わっていた時代も長かったので、日本を代表する演奏家の一人、という認識を強く持っていたわけだが、ラジオでクラシックを紹介する番組も少なくなる中、私ができることといえば、あらゆる機会にクラシック音楽と優れた演奏家の方をご紹介することだと考え、今回お声掛けをした。しかも和波さんは世田谷にも長くお住まいだということで、私の自宅ともご近所だったことがわかり、エフエム世田谷へのご出演は実に20年ぶりとのことで大変喜んで下さった。
第31回クリスマス・バッハシリーズ・コンサート
収録では普段の生活や、12月に行われるクリスマス・バッハシリーズのコンサートについて、またそこで演奏されるバッハの無伴奏作品についての思いなどを語っていただいた。点字の楽譜を用いる和波さんは、その普及にも心をくだいていて、ほぼボランティアで成り立っているこの点字楽譜の連絡会を設立して代表を務めている。これについては2回に渡ってお話いただいたのだが、貴重な内容である。番組の合間には和波さんの演奏するバッハの無伴奏パルティータの第2番からコレンテをかけた。短い3分ほどの楽章の中に宿る静謐な響き。その余韻の美しさは、ラジオ放送でも感じとっていただけると確信する。続くバッハについてのお話は単に作品についてだけでなく、誰にでもわかる優しい言葉で人生の哲学ともいうべき物事の本質を捉えた深いお話をしていただいた。
バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータby和波孝禧(Vn)
桐朋学園出身の和波さんはもちろんサイトウ・キネン・オーケストラとも関わりが深い。小澤征爾さんとの繋がりや、長年、公私共にパートナーとして歩んできた土屋美寧子さんとのデュオのお話。2回目の放送でおかけしたのはクライスラーの「美しきロスマリン」。小品ながら、まさしく珠玉の演奏で、和波さんの音楽性の豊かさに改めて感じ入った。番組パーソナリティーの小林奈々絵さんはクラシック音楽にはあまり馴染みがなかったというが、彼女の心にも響くものがあったようだ。放送は12月2日と16日(翌週再放送)。エフエム世田谷のウェブサイトではアーカイブされる聴き逃し配信もあるが、和波さんのお話と演奏を是非一緒に聴いていただきたいので、可能ならばこの時間にリアルタイムで。
エフエム世田谷(また、番組後半では玉川地区の重度障害者のためのシェアハウス「たまよんガーデンコミュニティ」をご紹介する。二子玉川駅から徒歩15分程の住宅地にある静かで自然豊かな施設は代表の速水葉子さんの自宅を改築して作られたもの。ディレクターの私と名前が似ているので(笑)、速水さんとは名刺交換の際も親近感が漂っていた。シェアハウス前にはご両親から受け継いだというこだわりのお庭が広がり、柚子がたわわに実っていて、それを帰り際にお土産にいただいてしまった。
たまよんガーデン・コミュニティ(取材を終えて駅までの道を歩きながら、こうしてささやかだけれど温かみに満ちた地域の人々の取り組みや、彼らと確かなコミュニケーションを築いていく今の仕事に、私はとても穏やかで優しい時間の流れを感じた。柚子の香りが少し冷たい風とともに私の鼻先をかすめていった。
いただいた柚子
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