RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
ラジオ番組の制作の仕事を始めてから早25年。制作会社員時代、フリーランス時代を経て、3年前からはまがりなりにも法人として仕事を続けている。その会社名に拝借したのがイギリス人指揮者のサイモン・ラトル。「Rattle」とはおもちゃのガラガラとか賑やかしい音を意味することもあり、音声メディアにはぴったりではないか、ということで夫婦で相談して名付けた。ラトルの若々しい音楽スタイルやカリスマ的な人気にもあやかりたい思いがあった。もちろんご本人はそんなことはつゆしらず、今年2024年、バイエルン放送交響楽団とともに来日した。
思えばラトルが華々しく登場した時はCD制作も全盛期だった。イギリスの地方都市のオーケストラに過ぎなかったバーミンガム市交響楽団を、一躍世界水準に引き上げたオーケストラビルダーとしての手腕は、当時から注目を浴びていてEMIから数々のタイトルを発売していた。その頃のラトルはダークな天然パーマヘアと表情の豊かな青年指揮者。圧倒的な人気を博していた彼の指揮するマーラーの交響曲を聴きたくて、オペラシティまで聴きに行ったのを思い出す。あれは1998年のことだったか。
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
ラトルはそれからあれよあれよという間に世界の一流オーケストラと共演、若くして大英帝国勲章に叙勲、ついにはクラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督となった。ソリスト集団のベルリン・フィルとは任期の最後には難しい関係だったともいわれるが、教育プログラムにも力を注ぎ、精力的に活動を続け、2002年から2018年までという決して短くない期間を務めた。その後は故郷であるイギリスのロンドン交響楽団の首席指揮者、そして現在はドイツのバイエルン放送交響楽団の首席指揮者となっている。
バイエルン放送交響楽団は南ドイツのミュンヘンに本拠を置く放送局のオーケストラで、その演奏レベルは世界的に名高い。1949年の設立からの初代首席指揮者は地元出身のオイゲン・ヨッフム。その後はラファエル・クーベリックやコリン・デイヴィス、ロリン・マゼールを経てマリス・ヤンソンス時代も印象深い。ヤンソンスが惜しまれつつ2019年に亡くなって空席となっていたところでラトルが就任となった。
カーテンコール
そんなラトルの演奏だけは必ずコンサートに行くことを決めている。もはや縁起担ぎを兼ねているといってもよい。今回は個人的にはピアニストのチョ・ソンジンとの共演を是非とも聴きたかったのだが、これが一番人気の公演だったようで、早々に売り切れ。そこでNHK音楽祭のオーケストラ単独公演のチケットをなんとかゲットした。
NHKホールが会場の場合、私は原宿方面から歩く。銀杏並木が広がる代々木公園を夜歩くのは少し空気が冷えるが、渋谷の喧騒を避けられるので音楽の余韻に浸るにも気持ちがいい。つい先日も公演時間を間違えてこの道を二往復したのだが、かえっていい運動になったとさえ思える。
本日のプログラム、マーラーの交響曲第7番は初めてラトルの来日公演を聴いた時と同じである。あの時はバーミンガム市交響楽団との共演でオリヴァー・ナッセンの交響曲第3番という現代作品を前半に組んでいたが、今夜もバートウィッスルの「サイモンへの贈り物」と題された作品が先に演奏された。こうした現代作曲家の作品を積極的に紹介するのも彼らしい。この作品は管楽器のみで構成され、いわばファンファーレとしてこの後の長大な交響曲への序章である。この日は休憩なしの公演だった。
交響曲第7番は「夜曲」と題された楽章があることで、通称「夜の歌」とも呼ばれる。5楽章構成でオーケストラにはギターやマンドリンが加わり、セレナーデ的なイメージを一層醸し出す。午前4時から6時までの早朝2時間の音楽番組を担当していた頃には、前半は夜の気分を残した選曲を意識して、この第7番の第4楽章をよくかけていた。楽章の中では比較的短く、セレナーデの名の通りゆったりしたリズムも親しみやすく、最後のトリルが明け方へと続く空を思わせて美しい。第7番はこの第4楽章を軸に耳を馴染ませるのが個人的にはおすすめである。
しかし合唱を伴わない器楽交響曲ではあるが、5番や6番に比べ演奏の機会が少ないのは、楽曲全体に絡みつくどこかグロテスクで鬱屈した気分と、演奏する方も聴く方も捉え所のない難しい音楽、という印象があるからかもしれない。この取っ付きにくい曲を、ラトルは得意の精緻な音楽作りで細部をくっきりと描きながらも全体のバランスをとる。この第7番ではマンドリンが印象的だが、大音量のオケの中からこの繊細な音色を掬い上げるのは見事。バイエルン放送交響楽団の金管セクションの輝かしい音も素晴らしい。
爆発的なエネルギーで聴衆を魅了した26年前の熱量とは少し違う、大きな流れの中での音作り。青年指揮者ラトルが円熟期へと変化を遂げたことの証でもあったが、カーテンコールでは人懐こい変わらぬ笑顔で鳴り止まぬ拍手と聴衆に応えていたのが印象的だった。
ラトル指揮バイエルン放送交響楽団
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