

RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
映画「国宝」が話題である。伝統芸能である歌舞伎の世界を描いたこの作品は上映時間3時間という長尺にも関わらず、連日大ヒットを記録。人気若手俳優、吉沢亮と横浜流星という二人が主役を演じているということも話題のひとつだろう。
それにしても伝統芸能というものに対する世間の潜在的な関心がこんなにあるのは歓迎すべきことではあるが、少し意外でもあった。私自身は歌舞伎より能を観る機会が多いのだが、伝統芸能には基本的に世襲制度というものがあり、その養成システムはとかく理解しにくい。しかも歌舞伎も能も現代では「芸術」という括りで語られるので、更にとっつきにくさや敷居の高さみたいなものを感じさせる。
しかし歴史的な背景を考えると、もともとはそんなに高尚なものではなかった。歌舞伎は遊女の芸から始まったものだし、能も猿楽と呼ばれ、役者は身分の低い存在だった。やがて文化として成熟していった室町時代や江戸時代にそれぞれ芸能として独自の発展を遂げ、能は武家社会、歌舞伎は庶民の支持を獲得していく。それが明治以降、文明国としての地位を対外的に確立するために芸能を「芸術」として保護する動きが現れた。国や資産家によって劇場として歌舞伎座や能楽堂が建てられ、戦後はGHQの干渉もありつつ、組織の改変や特に歌舞伎はメディアとの関わりも深くなっていく。
そんな背景を考えると、「国宝」における歌舞伎界の描かれ方はかなりドラマ的である。その人間ドラマに感動するこれを鑑賞した人の大多数は普段歌舞伎に馴染みのない人が多いのだろうと推察する。それに主人公の二人が追い求めてやまない歌舞伎の絶対的魅力を映画的手法で表現することの難しさもある。これはクラシック音楽をテーマにした映画などでも同様だが、主人公の人生を変えるような素晴らしい音楽が劇中に流れたとしても、それを即座に誰もが納得するようにみせる(聴かせる)のは至難の業だ。そこには音楽以外の演出をかまさないと成り立たない、という構造があり、その匙加減は紙一重だ。
では歌舞伎をはじめ、伝統芸能の才能はその血筋に生まれた者にしか受け継がれないのだろうか。もちろん幼い頃からその世界にいることで必然的に芸に接する時間も長いから自ずと環境から学ぶことは多いだろう。様々なしきたりもそれに付随する。しかし約束された地位に甘んじて努力を怠ってもいいほど芸の道は甘くない。アドバンテージは高いかもしれないが、伝統芸能の世界全体の水準を考えればより広く優秀な才能を集めた方がいいに違いないし、才能と努力の上に芸が成り立つのならば、必ずしも血筋は必要ないともいえるのである。しかしそうはいっても親から子へ名が受け継がれることがひとつの理想的な姿であることは、特に家族という単位を重要視する日本においては否めない。伝統の存続と芸術の価値を維持することは必ずしも比例しないのだ。
映画「国宝」予告編
ここでクラシック音楽の世界を考えてみる。西洋と東洋という基本的な文化の違いはあるが、音楽の才能は遺伝的要素が強いともいわれるがどうだろうか。
例えばバッハに代表されるような、何代にも渡って音楽家を排出している一族があるのは、17〜18世紀の固定された身分制度がそうした環境において必然だったとみることもできる。それ以前は音楽家が聖職者を兼ねていたので、基本的に独身だった事情もあり、子孫が仕事を引き継ぐということも少なかったらしい。また更に時代が進むと音楽を含む芸術は個人の思想を表現するというツールになってくる。但し、演奏技術は職人的な側面もあるので親子間でそれを伝授するということもあった。19世紀になると音楽家はかなり自由業に近い形になり、音楽一族は成立しづらくなるが、特筆すべきはシュトラウス一家で、シュトラウス親子が犬猿の仲だったという話は有名だ。
バッハファミリーのカンタータ集
世襲制とは少し違うが、音楽史の中で重要なのがワーグナーの存在。自らの「楽劇」を上演する劇場まで作ってしまった彼の子孫には、歴代このバイロイト音楽祭を主宰し、演出家としても名を連ねている人物が多くいて、賛否はあるもののワーグナー一族は現代でも音楽界にその名を馳せている。
ワーグナーとバイロイト音楽祭
また演奏家では二代、三代に渡っている一家も多い。指揮者では父子鷹として有名なエーリッヒとカルロスのクライバー、アルヴィドとマリスのヤンソンス、父ネーメと息子パーヴォとクリスチャンのヤルヴィ一家などは世界の第一線で活躍。また兄弟姉妹ともなると枚挙に暇がない。指揮者のチョン・ミュンフンとヴァイオリニストのチョン・キョンファ、もう一人の姉、チェリストのチョン・ミュンファも加えてトリオの録音は往年のベストセラー。双方テノール歌手として活躍するプレガルディエン親子や、今や世界の歌劇場を席巻するソプラノ、アスミク・グリゴリアンの父はマリインスキー劇場で活躍したテノール歌手だ。最近ではともにウィーン・フィルのメンバーとしてヘーデンボルク兄弟が新年のニューイヤーコンサートで顔を見せれば、日本の歌謡界でも活躍した作曲家の服部良一、服部克久、服部隆之をはじめとする服部一族にはヴァイオリニストの服部百音がいる。こうしてみると血は争えない、という感じもしてくるから不思議である。
服部百音
清水葉子の最近のコラム
2025秋の来日公演④〜ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
この秋の来日公演、先のコラムでも書いた3公演で(お財布事情的にも)おしまいにするつもりだったのだが、ひょんなことから転がり込んできたチケットにより、突如追加してしまおう。現代若手ナンバーワンの呼び声も高い、フィンランド出…
2025秋の来日公演③〜ロサンゼルス・フィルハーモニック
10月下旬に集中した秋の来日公演の中でダークホースだったのはロサンゼルス・フィルハーモニックだろう。 土地柄ハリウッドとも関係の深いこのオーケストラは、2003年にウォルト・ディズニー・コンサートホールという新たな本拠地…
2025秋の来日公演②〜ウィーン国立歌劇場
この秋の来日公演で最も大きな話題になっているのは9年振りの来日となるウィーン国立歌劇場の引越し公演だろう。指揮者とオーケストラ、歌手陣だけでなく、舞台美術や演出、照明も含めて丸ごとやってくる引越し公演は、招聘元のNBSの…
2025秋の来日公演①〜チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
音楽の秋到来。そして今年は来日公演が大ラッシュ状態である。ところが円安の煽りを受けてチケット代は軒並み高騰している。音楽ファンも厳選してチケットを入手しなければならない。…となると主催側としてはプロモーション活動も非常に…
亡き父を偲ぶ歌
個人的なことを書くが、先月父が亡くなった。父はここ2年余り、ずっと入院していたので、遠からずこの日がやってくることは私も家族も予想はしていた。だから正直なところ、すごくショックというわけではなかった。最近はほぼ1日眠って…





