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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

永遠のロリータ『サロメ』

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

久しぶりのMETライブビューイング。珍しく初日に東劇に赴いたのは今回のプログラムがリヒャルト・シュトラウスの「サロメ」だったから。この春には丸の内の三菱一号館美術館でオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵で有名なビアズリー展が行われ、それを観ていた私は、今シーズンのMETライブビューイングにラインナップされていた「サロメ」を心待ちにしていた。


「異端の奇才ビアズリー展」三菱一号館美術館より

「サロメ」の大もとは新約聖書に出てくる挿話である。それをワイルドが戯曲化し、更にドイツ語版を台本にしてシュトラウスがオペラ化した。

物語の舞台は紀元30年頃。預言者ヨカナーンはヘロデ王が兄弟の妻ヘロディアスを娶ったことを公然と非難したために投獄されている。ヘロディアスと前夫の娘であるサロメはヨカナーンの存在に興味を持ち、幽閉中の彼と面会してたちまち恋心を抱くが、激しく拒絶されてしまう。サロメは継父ヘロデ王の求めに応じて祝宴の席で踊り、その褒美にヨカナーンの首を所望する。預言者を斬首することを恐れるヘロデだったが、結局その望みに応じ、銀の盆に載せたヨカナーンの首を手に入れたサロメは恍惚としてその唇に接吻する。

様々な形で芸術家たちを刺激し、その題材とされてきたこの「サロメ」の物語。預言者ヨハネ(ヨカナーン)の首を求めたという逸話は、西洋絵画では特にそのモティーフとなってきた。イタリアではティツィアーノやカラヴァッジョ、ドイツのクラナッハ、そして19世紀になってからはフランスのモローが多くの絵画作品を残した。またフローベールも小説「エロディア」を書き、マスネはフローベールの小説を元にオペラ「エロディアード」を作曲している。ワイルドの戯曲化以降は世紀末芸術作品としての性格が強くなり、更にメディアミックスが進み、演劇、バレエ、映画、そして現代ではポピュラー音楽にもその影響が見られる。

世紀を跨いで人々を魅了する「サロメ」。もともと新約聖書ではこう記述されている。踊りの褒美として「望みのものを与える」とヘロデ王に言われたサロメは母親のところへ行き、「何を望みましょうか?」と尋ねた。ヘロディアスは「ヨハネの首を」と望んだので、サロメはそのまま王に願い出た。反逆者を抹殺したいという権力者の欲望が娘を使って実現させた茶番劇だったというのが本当のところなのかもしれない。しかし、絵画表現が時代とともに人物の性格描写を重んじるようになり、より自主的に首を望んだ「悪女」としてのサロメのイメージが徐々に出来上がった。ワイルドはそこに退廃とエロスのエッセンスを振りかけ、シュトラウスの音楽が極上の彩りでその官能性を盛り付ける。

今シーズンMETライブビューイングの新演出版はドイツ人演出家、クラウス・グートによるもの。2023年の12月にウィーン国立歌劇場での「トゥーランドット」上演でも話題となった。

icon-youtube-play プッチーニ「トゥーランドット」より(ウィーン国立歌劇場)

今回の設定ではヴィクトリア朝時代となっている「サロメ」も同様にモノクロームの舞台背景や衣装はシンプルで、かえって陰影の美しさが際立つ。そしてよりその少女性と残虐性を強調している。まずサロメの衣装が白いレースの襟と黒のワンピース、白いストッキングといういかにも無垢な少女のアイコンそのものだ。囚われのヨカナーンに直接会うために、自分に好意を持つ兵士をそそのかし、欲望を達成しようとする彼女の蠱惑的な振る舞いは、既に「女」としての成熟した側面も持ち合わせている。しかし、時にその純粋さがオーヴァーフローしたような行動も見せる。自ら地下牢への階段を降りていくさまはまるで宝物を探しに行くような無邪気さだ。サロメはヨカナーンと出会うことで恋を知り、情欲が芽生える中で刻一刻と「悪女」に近づいていく。そんなアンバランスな女性性を内包するのがサロメの危うさでもある。またヘロデ王は継娘に卑猥な眼差しを向けるが、その頭部にはヤギの被り物をしている。ヤギはキリスト教では悪魔の象徴であり、聖書に端を発した物語における一捻りしたグートの演出意図が垣間見える。

第4場の「7つのヴェールの踊り」は「サロメ」の中では演出的にも肝となる部分。もちろん歌手が踊る場合もあるが、ダンサーをキャスティングする場合もあるし、2018年のザルツブルク音楽祭では舞台上でうずくまるだけの「踊らないサロメ」という演出もあった。ここでは脱ぎ捨てるヴェールの数と同じ7人の少女サロメが登場する。踊りというよりはその成長と心象風景をパントマイムで表現する、という手法だが、ネゼ=セガンの指揮が緊張感溢れる舞踏音楽を鮮明に浮かび上がらせる。時にストッキングを脱ぎ捨てるようなセンシュアルな演出や映像的な視覚効果もあり、永遠のロリータとしての「サロメ」の毒のある味わいを一味違った形で見せつけた。

サロメ役はその少女性と狂気の女性性の両方を表現しなければならず、歌唱的にも大変なスタミナを要する。E.ヴァン・デン・ヒーヴァーがその硬質な歌声でサロメの狂気を歌い切る。そして出番は少ないもののヨカナーン役のP.マッテイの歌声がなんとも気高く、声を聴くだけで魅了されるサロメの気持ちがわかるような気さえした。

icon-youtube-play METライブビューイング〜R.シュトラウス「サロメ」より

東劇では7月10日まで上映される予定。

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