RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
私が小学生だった頃は公立小学校の教室に一台ずつ足踏みオルガンがあった。朝のホームルームで、校歌や、秋になると合唱祭の前には教室でもクラス単位で練習をするので、ピアノをやっていた私はそのオルガンを使ってよく伴奏をさせられていたのを思い出す。当時はピアノと違って打鍵の感覚がふにゃふにゃしていることとか、曲によっては鍵盤数が足りなかったりするし、ペダルで常に空気を送っていないと音が持続しなかったりするので、弾きにくいと感じていた。オルガンの音と放課後の教室に響く歌声。はるか遠くなった昭和の風景である。
その足踏みオルガンは正式には「リード・オルガン」、主にヨーロッパでは「ハルモニウム」と呼ばれる。機械的な仕組みで多数のパイプに空気を送り、それを発音体とする、いわゆる教会にある「パイプ・オルガン」とは構造が違う。アコーディオンなどと同じ原理なので音色もとてもよく似ている。なんとも素朴で懐かしい温かい響きだ。そう感じたのは小学校時代から40年近く経った、今年の夏の終わりの夜のことである。
賛美歌「日暮れて四方は暗く」
私が制作に携わる衛星デジタル音楽放送ミュージックバードに、新しく出演して頂く予定の白沢達生さんは、古楽を中心にヨーロッパの音楽や文化に造詣の深い人だが、彼はまた様々な場所でクラシック音楽を発信することを実践していて、あちこちでトークイベントを開催している。先日、私は四谷のホメリという喫茶店で行われた彼の「白沢茶話と山村暮鳥のうた」というイベントに出かけた。
四谷三丁目の駅から少し行ったところにあるビルの2階にその小さな喫茶店があった。細長い作りの店内は漆喰の壁に木の板が張られている。置かれている家具もアンティーク風でとても素敵な雰囲気だ。その奥には古いリード・オルガン。それを弾き語りするのはブルガリアや東欧の民族音楽などを専門に演奏するアーティスト、大野慎矢さん。彼は明治、大正時代に活躍した詩人、山村暮鳥の詩に音楽をつけ、それを歌うライブ活動もしている。今夜はそのライブの合間に白沢さんがトークを展開する、という内容だ。まずはその山村暮鳥の詩集「雲」の序文が朗読され、彼の生きた時代の年表を追っていく。
山村暮鳥は群馬県高崎市に生まれ、キリスト教の伝道師として活動を始めるかたわら、短歌や詩を創作。同時代の萩原朔太郎や室生犀星らと活動をともにするが、やがて結核を患い40歳で世を去る。その活動の殆どは地方であり、その詩にはそうした自然、植物や果物への率直で愛情深い目線が特徴的である。同時に明治、大正、昭和と移りゆく日本の近代化への歩みの中で、40歳という人生の節目で短い生涯を終えた彼の思いがしたためられた詩集「雲」は、ほぼ同世代の白沢、大野氏には大いに共感するところがあるのだろう。
暮鳥が生きた時代は年表を重ねると音楽史的にも実に興味深い時代である。彼の幼少期に日本では小学校の唱歌伴奏用にリード・オルガンが導入され、1894年にはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が初演。1897年にはブラームスが没し、1899年にはR.シュトラウスの「英雄の生涯」が初演。1912年にはディアギレフのバレエ・リュスがストラヴィンスキーの「春の祭典」を初演し大騒動になっている。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、その反発から生まれる芸術運動ダダイズム。1922年にはソビエト連邦が成立し、日本共産党が結成。1923年には関東大震災。暮鳥が亡くなった1924年にはフォーレが没し、「雲」の刊行の翌年1925年にはサティが没している、といった具合。
19世紀後半、特に広大な土地を持つアメリカでリード・オルガンは普及した。ピアノよりも安価で軽量、鉄道が普及する前の、馬車や蒸気機関車の悪条件での牽引など、過酷な運搬にも耐えうる楽器として人気を博したのだ。それは辺境の地にキリスト教を布教するには最適だったのである。日本でも宣教師がこれを持ち込み、宣教活動から始まり、近代化とともに唱歌教育が活発化する中で普及していった。これ以降はピアノの生産技術が進み、一般的になることで急速に人気が低迷していく。
一方でハルモニウムとしてはベルリオーズやビゼー、ドヴォルザーク、サン=サーンスなどが楽器に魅せられ作品を書いているし、20世紀初頭にはドイツのジークフリート・カルク=エーレルトがたくさんの作品を残していて、現在でも音源はCDなどで存在する。トークライブでも白沢さんがいくつか曲を聴かせてくれたが、しみじみと味わい深い。
サン=サーンス:ピアノとハルモニウムのためのデュオOp8よりカヴァティーナ
ドヴォルザーク:バガテルOp47
一時代に流行した楽器がその後廃れていく、というパターンはいくつかあるが、時を経てその音色に再び惹かれる、というのもまたよくあることだ。それは単なるノスタルジーなのか、はたまた時代を超えてつながる感覚が今に再燃している、ということなのか。足踏みオルガンで奏でられる音色と、暮鳥の詩にのせて歌われる音楽。都心の片隅にある喫茶店での一夜は、コーヒーの薫りに包まれた心地良い記憶となって私の中に残った。
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