RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
ベルリン・フィルの音楽監督を終えたサイモン・ラトルの次の活動の場は母国イギリスのロンドン交響楽団だ。そのロンドン交響楽団を率いて初の日本ツアーがこの秋行われている。
私にとってサイモン・ラトルというと未だに青年指揮者、といった印象が強いのは大学卒業後、楽器店に就職してそこでクラシックのCDソフトを扱っていた時に、当時イギリスのバーミンガム市交響楽団と精力的に録音活動を行なっていた彼のイメージがあるからだ。その時に聴いていたマーラーの交響曲が私の中に刷り込まれていて、そのラトルのマーラーを聴きにオペラシティコンサートホールに聴きに行ったのは1998年のことだった。その後ベルリン・フィルと来日した際にも行くつもりでチケットを手に入れたのだが、事情があって人に譲ってしまった。だから今回ラトルの演奏を聴くのは実に20年振りということになる。
マーラー:交響曲第2番「復活」byラトル指揮バーミンガム市交響楽団
やはりマーラーを聴きたかった私がプログラムを調べていると、バーンスタインの交響曲「不安の時代」とのカップリングの日があった。しかもピアノのソリストはクリスチャン・ツィメルマン。この日に行きたい! そう思ったらそれは大阪公演だった。午後2時開演。日帰りもできないことはない。そう思ってチケットを入手した。しかし日が近くなってくると意外にも仕事のやりくりがついて、9月の最終週の連休は少し余裕がありそうだった。そこで思い切って大阪への一泊旅行にすることにしたのである。
大阪へ行くのも久しぶりで、妹が結婚して大阪に住んでいた時期にちょっと寄ったことがあったが、それも10年位前だろうか。新幹線のホームに降り立つなり、エスカレーターの列が右側にできているのに気づいていきなりのアウェイ感。何しろ私は両親も祖父母も東京で生まれ育った人間なので、いわば江戸っ子なのである。大阪までJRで移動してホテルまでは徒歩7分とのこと。うっかり地上に出てしまったら案内が殆どないではないか。聞けば大阪は大きな地下街があるので、人々はほぼ地下道を移動するらしい。地上をうろうろしているのは観光客と田舎者、ということだそうである。方向音痴ゆえ、御多分にもれずうろうろしてザ・観光客をやってしまったのだが、なんとかホテルに辿り着いた。
荷物を置いて少し大阪の街を探検。天気が良かったので「あべのハルカス」の展望台に上って市内を一望。あの大阪城がミニチュアのようだった。併設の美術館ではちょうど大阪万博50周年記念ということで「太陽の塔」の展覧会を行なっていたのでこれを鑑賞。どちらも連休のわりにはさほど混んでない様子だった。この日はこれくらいにしてホテルに戻って食事を済ませ、ゆっくりと過ごした。部屋にはエスプレッソマシンが置いてあり、淹れたてのコーヒーがいつでも飲める至福。今回宿泊したのは多少贅沢して5つ星ホテル「リッツカールトン大阪」。やはり一流ホテルはこういうホスピタリティが素晴らしい。
さて翌日の午後、フェスティバルホールへ向かった。2013年にリニューアルされた2700席を有する大規模ホールはエントランスの赤い絨毯が敷かれた大階段が印象的だ。館内の座席や基調としたカラーも赤。このイメージがあったので私自身も真っ赤なワンピースを着ていった。
プログラム始めはバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」。このコラムでも幾度となく紹介しているが、今年はバーンスタインの生誕100年。この作品をバレエ化したロイヤル・バレエの舞台のライブビューイングに魅せられて以降、グラモフォンの新録音「不安の時代」のディスクは個人的に聴きまくった。ラトルとベルリン・フィル、そしてツィメルマンというほぼ大阪のプログラムと同じ組み合わせである。ロンドン響との演奏はベルリン・フィルとの録音に比べるとやや後半リズム感に欠けるところがあったかもしれない。他のレパートリーより圧倒的に演奏回数が少ないところに変拍子の嵐とジャズのイディオム。逆に言えばベルリン・フィルはライヴ録音でありながらあのクオリティー。やはりとんでもないオケである。
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」byツィメルマン(P)、ラトル指揮ベルリン・フィル
そしてマーラー。作曲者自身、最後の交響曲となった第9番を時代の終わりと始まりが同居するものとして提示している。当日のプログラムに音楽評論家の城所孝吉さんが書いていたが、16年に渡るベルリン・フィルとラトルの関係は一筋縄ではいかない厳しいものだったという。第9番の演奏はその苦しい日々との惜別を感じさせるようなところがあった。ロンドン響とはまだ関係が始まったばかり。彼の中に残っているベルリン・フィルがまだロンドン響に少し馴染んでいないところはあったものの、終楽章のアダージョのピアニシモはまさに壮絶の美しさだった。
演奏が終わり、鳴り止まない拍手に20年前に聴いたマーラーが頭をよぎった。長い歳月の中で、私はラトルが指揮者としてより深く、大きく、何か複雑なものを内包しながらそれを解放したいと感じているようにも思った。
マーラー:交響曲第9番byラトル指揮ベルリン・フィル
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