RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
本来ならゴールデンウィークが間近のこの季節、東京も音楽祭が目白押しだが、丸の内の風物詩でもある「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」は度重なる新型コロナの感染拡大の状況をふまえて、昨年に引き続き中止を決定。一方、「東京・春・音楽祭」はいくつかの公演は中止となったが、紆余曲折を経ながらも一部のアーティストはなんとか来日を果たし、国内アーティストを中心にしつつ公演を実施、またライブ配信やストリーミングを駆使して様々なプログラムを工夫することで開催となった。
東京春祭オーケストラ
その中で最も話題となったのが、リッカルド・ムーティの来日である。クラシック音楽の世界ではもはや知らぬ者はいない、現代イタリアの巨匠。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤー・コンサートでもお馴染みで、今年2021年、初の無観客での開催となったムジークフェラインザールの指揮台に登ったのも6回目の登場となるムーティだった。かつてはアメリカの伝統あるフィラデルフィア管弦楽団で、母国イタリアではミラノ・スカラ座の芸術監督、またヴィルトゥオーゾ・オーケストラとして名高いシカゴ交響楽団でも音楽監督を務める他、ザルツブルク音楽祭をはじめ、数多くのヨーロッパの主要な音楽祭への出演でも知られる。
若い頃は颯爽としたハンサムな指揮者で女性ファンも多く、私などの周辺でもムーティ・ファンはいまだ健在だ。ご本人も80歳になろうかという高齢だが、幾分恰幅がよくなった以外はその声も話ぶりも、また指揮姿も変わらない若々しさだ。
そのレパートリーは幅広いが、特にイタリア・オペラでは近年若手の育成にも力を注いでいる。そのムーティが立ち上げたプロジェクトが「イタリア・オペラ・アカデミー」。2015年からイタリアのラヴェンナで開催され、オーディションを経た世界中の若手音楽家がムーティからイタリア・オペラの極意を直接学ぶことができる。東京・春・音楽祭ではこの趣旨に賛同して東京編として音楽祭期間中にプログラムとして取り入れているのである。
イタリア・オペラ・アカデミー「椿姫」リハーサル」
目の当たりにしたのが、今回目玉となっている演奏会形式で行われるヴェルディの歌劇「マクベス」のアカデミー聴講プログラムと公開リハーサルだった。今年は数日間無料でライブ配信され、私も仕事の合間にパソコンで視聴することができた。リハーサルといえども真剣勝負。ムーティのその表情や声は力が漲り、歌いながら身振り手振りで指導していくので、興奮してマスクが危うく外れそうになっている場面も何度か見受けられた。時に厳しくも、時にユーモアを交えて若い音楽家にレッスンをつける様子は圧倒的な求心力があり、全てが一瞬にして彼の一挙手一投足に釘付けになる。指揮者とはこういう存在でないと務まらない職業なのだと改めて思った。それはパソコンの画面で見ていても見事なもので、ぐいぐいと惹きつけられた。
このリハーサルを見てしまったら生の演奏を聴くしかない。コンサートの翌日は朝から収録の予定だったのだが、早めに収録の準備をして、またしても東京文化会館へ向かった。
いわゆるシェイクスピアの4大悲劇のひとつ、戯曲「マクベス」を元にしたこのオペラは実在のスコットランド王をモデルにしている。
将軍マクベスは魔女により王座につくことを予言される。それを知った妻がマクベスをけしかけ、彼は主君を殺して王座につくが、その亡霊に怯え、ついに妻も精神を病み、マクベスも貴族や王子らの復讐に倒れるーー。
リッカルド・ムーティ「マクベス」リハーサル
演奏会形式の「マクベス」がオペラ上演と違うのはやはりオーケストラが舞台上に乗っているということ。通常の場合、ピットに入っているオーケストラの音が演奏会形式ではダイレクトに客席に届く。それを考えると歌手陣との声量のバランスが難しい。しかしムーティは特にオケの音を加減することなく、存分に鳴らしていた。歌が入るところはそれでも微妙に調整していたとは思うのだが、それを感じさせないのはさすが百戦錬磨の巨匠である。そのムーティ・マジックでオーケストラも一丸となって音を紡ぎ出す。舞台装置はなくとも物語全体の迫力を損なわずに、複雑で重厚な「マクベス」の音楽にメリハリをもたらしていた。
今回来日を果たした出演者たちも見事な歌唱を聴かせた。特にマクベス夫人のアナスタシア・バルトリ。演奏会形式ということもあり、凄みという点では演技の限界があったかもしれないが、ホールに響き渡る張りのある美声は野心と同時に恐怖に怯えるマクベス夫人の精神的緊張感を象徴していた。マクベス役のルカ・ミケレッティも尻上がりに調子を上げ、最後は大きく存在感を見せつけた。
しかしやはり圧巻はムーティの音楽だった。あれだけ熱のこもったリハーサルを連日こなしていたのにも驚嘆したが、なんというエネルギーだろう! 来日に関しては今回も賛否両論あったようだが、そんなものはどこかに吹き飛んでしまった。リッカルド・ムーティこそ、まさに現代最後のカリスマ指揮者なのだ。
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