
RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
仕事柄クラシック音楽のコンサートにはよく出かける。でもいつも素晴らしい演奏が聴けるか、というとそうでもないのが正直なところだ。こんなことを言うと怒られそうだが、退屈で眠くなってしまったり、帰りたくなってしまうようなコンサートもたまにある。こちらも生身の人間なので、どうしてもコンディションが悪くてコンサートを楽しめない時もある。クラシック音楽というのは細かいニュアンスが大切なので、五感を研ぎ澄ませてそれを聴き分けるためにも、まずは体調を万全の状態にするのが大前提である。
その上で「帰りたくなってしまうようなコンサート」がどんなものなのか、ちょっと考えてみたい。もちろん個人的な好みもあるし、私の仕事柄気になることもあるので異を唱える人もいるかもしれないが、コンサートを特定されないように配慮しつつ私の体験談を書いてみることにする。あまり目くじらを立てずに参考にしていただければ幸いである。
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クラシックコンサートは一般のコンサートに比べて動員数が圧倒的に少ない。クラシック専用のコンサートホールで行われる場合がほとんどだが、それは音響がクラシック音楽を聴く上で最も重要な要素だからである。消え入るような弱音のピアニシモからフルオーケストラの大音量までダイナミックレンジの幅が大きく、多彩な音色を出す様々な楽器が登場するので、PAで一律音量レベルを上げておけばいいというものではない。もちろん生音が基本なので、PAは使わないことがほとんどだが、そうした事情を考えると自然に客席数もせいぜい2000席くらいがマックスとなってくる。無理矢理音を増幅すると音楽としての有機的な膨らみが損なわれてしまうし、大きな会場ではPAで増幅した音と生音が二重に聴こえてしまって台無し、ということもある。
では小さい会場だけにすればいいか、というと動員数が少ないとビジネスとして成り立たないこともある。企業スポンサーも動員数を重視する傾向があるので、そうなるとどれだけ集客できるかにこだわりすぎてクラシック音楽の本来の質を損なってしまうことがある。「帰りたくなってしまうようなコンサート」の原因で一番多いのは実はこれだと思う。音楽以外の理由でメディアに取り上げられ人気がある、華やかな容姿や話題性だけが先行している、実力の伴わないアーティストをキャスティングしてしまう場合だ。彼らをソリストにした伴奏役のオーケストラや指揮者も仕事とはいえ気の毒になってしまうことがある。
また他の人気コンテンツを取り入れたイベント感覚のコンサートもある。最近多いのが、小説や漫画、映画などに登場する演奏シーンを実際のコンサートで聴かせるという企画。もちろん普段とは違う客層にリーチすることで、数少ないクラシック音楽ファンを増やそうとする試みとしてはいいと思うのだが、経験値の少ないイベント会社などが仕切りを担当すると、まずプログラム構成が意味不明だったりする。名曲ばかりを並べるのは仕方ないとしても、音楽の流れというものがある。番組のエンディングテーマによく使うような曲を冒頭に持ってきて、始まるなり居眠りをする人が続出という稀有な場面にも遭遇した。
こうしたコンサートにやってくる人たちはクラシックコンサートに慣れていないので、マナー自体よくわかっていないことが多い。指揮者が手を降ろすまで拍手をしない、はだいぶ浸透したものの、指揮者や演奏者が舞台袖に引っ込んでしまったらすぐに拍手をやめてしまうので、彼らが再びステージに戻れない状況を目の当たりにした。仕方なく彼らが遠慮がちに出てくると、またパラパラとまばらな拍手が起こる……といった感じで、オーケストラのソリストを紹介するパフォーマンスもおざなりな空気が漂っていた。このような場合、司会者を立ててコンサートと会場をサポートする必要があるだろう。ほぼ裏方の気分である。
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そんな空気が影響したのか演奏自体も冴えなかったこのコンサート、失礼ながら休憩時で退席してしまったのだが、一番大きな理由は隣の男性が酒臭かったことである。お酒の飲めない私には耐え難く、気分が悪くなってしまったのである。匂い問題については前のコラムでも書いたのだが、演奏の質とは関係ないことなので非常に残念である。
もうひとつ、とある大御所日本人ピアニストのリサイタルだった。知り合いからチケットを譲られて聴きに行ったのだが、客席はほぼ教え子や大御所ピアニストが教鞭を執る学校の卒業生。現在かなりお年を召したそのピアニストは暗譜もままならないし、指も回っていなかったが、会場は絶賛の嵐。一人違和感を抱えることになった。
クラシックコンサートには確かにしきたりのようなものが存在する。時にそれは敷居が高いとか、めんどくさいと思われがちだが、真に素晴らしい感動に出会うには会場が同じベクトルで音楽を分かち合えることが大切なのかもしれない。
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