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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

読響定期〜演奏会形式オペラ『ヴォツェック』

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。

三寒四温とはよくいったもので、3月の天気は変わりやすい。立春も過ぎたところで雪が散らついたり、妙に昼間は暖かくなったりする。ウォーキングを毎日欠かさずやっていられたのはこれまで乾燥した晴れの日が多かったからだと気付いたのだが、その日は珍しく朝から雨が降っていた。

午前中はFM世田谷で収録、午後は半蔵門のスタジオで番組収録、と忙しなく都内を移動していたが、夜は久しぶりにサントリーホールへ。その日は読売日本交響楽団の定期公演があった。プログラムはベルクのオペラ「ヴォツェック」の演奏会形式である。

「フリーホイーリン・ボブ・ディラン」再現ジャケット
読響『ヴォツェック』いつも秀逸なデザインのチラシに感心

近頃あちこちでよく行われる演奏会形式オペラ。演出や舞台美術を伴う、大掛かりなオペラの舞台はやはり準備も費用も莫大な負担である。その点、演奏会形式ではそれらが軽減されることに加え、歌や合唱を伴う華やかでドラマティックな雰囲気もさることながら、通常ではピットに入るオーケストラが同じステージ上で演奏することで、音楽そのものをより一層クローズアップして聴くことができるのが最大のメリットだろう。もちろんこれはレパートリーの多様性にもつながる。特に読響の常任指揮者、セバスティアン・ヴァイグレはもともとベルリン国立歌劇場の首席ホルン奏者であり、歌劇場でのキャリアが長いことで知られる。これまでもR.シュトラウスをはじめとする重厚で華麗、複雑なオーケストレーションを得意としてきたヴァイグレが定期で取り上げたのがアルバン・ベルクの「ヴォツェック」というのは当然かもしれない。それだけに今回の公演は期待も高まっていた。

この「ヴォツェック」だが内容はかなり重い。1821年に起こった実際の情婦殺人事件を元にしているが、19世紀の劇作家ゲオルク・ビューヒナーが書いた戯曲ではタイトルは「ヴォイツェック」だったそうで、ベルクは1914年にその舞台上演を観てオペラ化を試みるが、どうも読み違えで「ヴォツェック」となったらしい。完成までには第一次世界大戦を挟み、作曲者の徴兵などがあって一時中断を余儀なくされた。最終的な完成は1922年。初演はエーリヒ・クライバーの指揮でベルリン国立歌劇場だったということなので、ここでもヴァイグレとの縁の深さを感じる。

実直な兵卒ヴォツェックは、内縁の妻マリーと息子がいる。近所の大尉の髭を剃ったり、怪しい医者の人体実験に協力したりして小銭を稼ぐ毎日。そんな生活に疲れたマリーは逞しい鼓手長に惹かれ、彼と関係を持つ。ヴォツェックは二人の関係を知る周りの人間にからかわれ、マリーと鼓手長が居酒屋で楽しそうに話しているのを見て逆上するが、惨めにやり込められてしまう。マリーは自分の罪を神に祈るが、精神錯乱状態のヴォツェックは紅い月の夜、沼のほとりでついにマリーを殺害。ナイフを沼に沈めようとするが、自分も誤って溺れ死ぬ。翌朝、死体が見つかり、残された息子に子どもたちは「君のお母さんは死んだよ」と言うが、彼は一人木馬遊びに興じる。

icon-youtube-play ベルク:オペラ『ヴォツェック』

いわゆる現代オペラなのでとっつきやすい作品ではない。基本的には無調音楽が終始続いていくのだが、ところどころで古典音楽からの引用があり、それぞれの場面ではドラマに基づいた性格的な音楽も聴こえてくるので、ちょっとホッとする。でも、この時代の音楽を聴き慣れていないとパッと聴いてわかりづらいかもしれない。…というわけで、ヴァイグレと読響の立派な演奏、出演者たちの見事な歌は素晴らしかったものの、演奏会形式独特の、純粋に音楽の流れだけで意識を途切らせずに舞台に集中させるのは、正直に言うと少々辛いものがあった。「画がない」というのがネックで、一度でもオペラとしての舞台を観ていればイメージしやすいかもしれないが、演出は最後のシーンで舞台後方のパイプオルガンを照らす赤い照明が「紅い月」を表していたくらい。演奏会形式といえども、もう少し演出や小道具を置いてもよかったのではないか、と思ったりもした。実際、私も何度かオペラの舞台を観ているのだが、この「ヴォツェック」の音楽は目で観ることでいっそう強調される要素があるような気がした。演奏会形式の場合、このオペラに先駆けて初演された「ヴォツェックからの3つの断章」という作曲者自身の抜粋オーケストラ版を予習するのが最適解なのかもしれない。

しかしベルクの傑作オペラであることに疑いの余地はなく、ヴォツェックの常に何かに怯えるような不安定な精神状態、大尉や医者の歪んだ性格や言動、辛い現実から逃避したいがためになかば自暴自棄になるマリー、ラストの息子の空虚な無感覚など、このオペラ全体を覆う陰惨な雰囲気は、作曲時代に第一次世界大戦が強く関わっていることを感じさせる。現在も決して他人事ではない世界情勢を考えると更に暗く、重苦しい気分になってしまう。朝からの仕事の疲れもどんよりとした雨空に重なった。

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