
RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
ここ半蔵門界隈はこの季節になると突然人口密度が高くなる。都内有数の桜の名所千鳥ヶ淵が目の前にあるからだ。今年は桜の開花が早く、暖かい日が続いているせいか4月を待たずにもはや満開である。ランチをとろうにも急に増えた花見客でいつもの店は大混雑。普段通り仕事をしている人間にとってはいささか不便なところもあるが、やはり満開の桜を眺めるのはなんともいえない素敵な気分だ。季節を愛でる日本人にとって「お花見」は欠かすことのできない風物詩でもある。
先日まさに満開となった桜の下を歩いた。一日の中でも時間帯によって様々な表情を見せる桜の姿はそれぞれ違った美しさがある。春の午後の暖かな日差しにお堀にかかる桜の枝と水面の光のコントラスト。その鏡のような輝きを音楽になぞらえるならばさしずめドビュッシーのピアノ曲、映像第1集の『水の反映』だろうか。
ドビュッシー:映像第1集より「水の反映」
桜は3月下旬から4月上旬が開花の季節だが、この時期日本は卒業式や入学式のシーズン、それは出会いと別れの季節でもある。そんな場面にシンクロする桜に切ない思いを抱く人も多いのではないだろうか。感傷的な気分は逆に晴れた空は似つかわしくない。むしろ曇り空の中に淡く煙る桜色が美しい。「花曇り」という美しい言葉に日本語のデリケートな奥深さをも感じる。こんな心情に意外にしっくりとくるのがイギリス音楽かもしれない。ディーリアスやヴォーン・ウィリアムズには田園風景を詠ったり、民謡を採り入れたどこか懐かしいフレーズのメロディーがたくさんある。ディーリアスの『春の牧歌』というタイトルのオーケストラ曲はその名の通り長閑でうららかな花の季節にふさわしい。そして花曇りの日にはヴォーン・ウィリアムズの『トーマス・タリスの主題による幻想曲』がぴったりだ。哀愁を帯びたメロディーを奏でる弦楽の響きは少し散り際の風情にも似合う。クライマックスでは胸が締めつけられそうになるほどの切なさがこみあげる。
ヴォーン・ウィリアムズ:トーマス・タリスの主題による幻想曲
「花」というキーワードでいえばドリーブの歌劇『ラクメ』から〈花の二重唱〉というソプラノとメゾの有名なデュエットがある。このオペラの舞台はイギリス統治下のインド。イギリス将校が高僧の娘ラクメと恋に落ち、束の間の恋の悦びの日々ののち悲劇で終わるのだが1幕でラクメと侍女のマリカが花咲く小川のほとりで歌うのがこの〈花の二重唱〉。作品ではジャスミンとばらの花がモティーフだが当時のフランス・オペラの流行にのっとった東洋的な雰囲気の漂う作品だけに桜の季節にもしっくりとくるような気がする。女声のデュエットというのも清らかで穢れのない花のイメージが重なりつつ、しかしなんとも艶かしい。
歌劇「ラクメ」より花の二重唱
もう1曲あげるならばヴォルフの歌曲に『花の挨拶』という2分ほどの短い曲がある。私はこの曲が好きでよく番組でも使うのだがピアノ伴奏の可憐なムードも相まって咲き始めの花のイメージ。ゆえに〈挨拶〉なのである。
夕暮れが近づき、桜の花が黄昏の色に染まる頃、頭の中に聴こえてくるのはR.シュトラウスの『4つの最後の歌』。シュトラウス自身がこれから迎えるであろう死を肯定し、それを静かに受け入れている陶然とした音楽である。意味深な歌詞はヘッセとアイヒェンドルフの詩によるもの。この恍惚的な美の世界はシュトラウス晩年の作品の特徴でもあり、人生の黄昏を詠っているものだ。
R.シュトラウス:4つの最後の歌
桜の中で私がもっとも惹かれるのは夜桜だ。暗闇の中に浮かび上がる薄紅色の桜はこの世のものではないような幻想的な美しさを醸し出す。先日の夜、仕事帰りに桜の木を見上げると蒼白い月がその上に輝いていた。夢見るように膨らんだ桜の枝と、冴え冴えと冷たい月光の組み合わせに魅せられてしばらく立ち止まった。私の夜桜のイメージは梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」からきている。こんなにも美しいのは桜の樹の下に屍体が埋まっているからだ、というそれは衝撃的な感覚でグロテスクなほど怪しい魅力に満ちている。そんな夜桜のイメージに重なるのはラヴェルのピアノ組曲『夜のガスパール』だろうか。
ラヴェル:夜のガスパール
一日の中の桜の表情。美しさのなかの儚さ。桜の花に魅せられるのは過去も現在も同じである。もう一つ思い浮かぶ夜桜の物語は能の『西行桜』。たくさんの花見客が庵室に訪れるのを煩わしく思う西行は「美しさゆえに人を惹きつける」桜の罪を歌に詠む。やがて夜になり、桜の老木の精霊が現れ、「桜はただ咲くだけで咎などはない」と西行に語りかけ、京都の桜の名所を伝えて消えてゆく。美しさが罪というのはとても人間的な感覚だ。老木の精というのも若さ=美との対比を感じさせる。そして人間と精霊。能という静寂と無常の精神性に満ちた作品は最後の余韻も見事だ。
そんな西行の歌。
―願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃―
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