

RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
イングマール・ベルイマンが今年生誕100年ということで少し前から特集上映が恵比寿ガーデンシネマで始まっていた。1918年スウェーデンのウプサラに生まれたベルイマンは「北欧映画界の至宝」とも称され、20世紀最大の映画監督であることは今更いうまでもない。彼に影響を受けたと言われる映画監督にはウッディ・アレン、アンドレイ・タルコフスキー、スタンリー・キューブリック、ジャン=リュック・ゴダール、クシシュトフ・キェシロフスキ、スティーブン・スピルバーグ……と錚々たる顔ぶれである。
そんな「巨匠」ベルイマンはとかく孤高の存在として、難解で映画芸術の象徴として語られることも多い。彼の影響を受けた後の世代の作品を観ることは多いので、私もある程度認識は持っていたが、実はちゃんと観たことがほとんどなかった。前回のコラムから始まった私の夏の映画鑑賞記。思い立ってベルイマン特集上映をコンプリートしようと私の恵比寿通いが始まった。
ベルイマンの作品には終生のテーマともいえる「神の沈黙」と呼ばれる三部作がある。1960年代に作られたそれは「鏡の中にある如く」「冬の光」「沈黙」の3つである。
特集上映、私が最初に観たのが「鏡の中にある如く」。登場人物は孤島の別荘で過ごす家族4人。作家である父、思春期の息子、娘とその夫。精神を病む娘カーリンが徐々に心のバランスを失っていき壊れていく。美しい北欧の景色の中で静かに始まるストーリーに音楽はほとんど使われない。しかし映画は音楽がクレッシェンドしていくように、カーリンの狂気とともに進行していく。彼女を演じるハリエット・アンデルセンが美しい。美しいものが滅びゆくさまというのはどこか耽美的でさえある。ショッキングな場面もあるが、最後には神とその愛を肯定するセリフがあり、比較的わかりやすい作品だ。
映画「鏡の中にある如く」予告編
「冬の光」はキリスト教文化圏外の人間には最も難しい作品かもしれないと思った。寒々とした冬の漁村。そこに住む牧師の男は妻に先立たれ、生きる希望を失っている。教会へ来る信者ももはやまばらである。自分に想いを寄せる女に対しても愛情を持てない。信者である夫婦の夫が核戦争による不安で鬱病となり、心配する妻が牧師に相談にやって来る。このあたりはタルコフスキーの映画を彷彿とさせる。夫と話をする牧師だったが、神への信仰心を失いつつある牧師は、夫に真摯な言葉を伝えることはできない。やがて夫は自ら命を絶つ。最後にわずかな救いの光が訪れるが、観終わってからしばらく椅子から立ち上がれないほどに重かった。
そして「沈黙」。2人の姉妹と妹の息子との旅。姉は病を患っていて、旅の途中体調を壊し、3人はやむなく言葉も通じない異国に降り立つ。そこは夜、街中を戦車が通り過ぎるなど物騒なムードも漂う。姉妹はお互いに感情のもつれがあり、宿泊先のホテルでもほとんど顔を合わさない。やがて妹は息子をおいて外出し、そこで行きずりの男と関係を持つ。それをきっかけに最後には姉妹がお互いへの思いを爆発させる。ここでも音楽はおろか、セリフも極限まで排除されている。唯一音楽が流れたのは異国のホテルでラジオから流れるバッハの「ゴルトベルク変奏曲」。おそらくは共産圏であるその国でまさに閉塞した「沈黙」の中、姉妹の軋轢、冷戦という断絶を映し出す。それは時に子供である息子の目線を通したアングルで撮られている。これは少年時代のベルイマンの目線だろうか。
バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988第25変奏
ベルイマンは厳格な牧師の父を持ち、時に虐待ともいえる躾を受けた少年期を送ったそうだ。そのことは彼の心に深い影を落としている。この三部作はまさにその少年期の影の部分から生まれたように思う。父への憎しみから神の存在への不信へ。不幸の底にあっても、絶望の淵に追いやられても沈黙している神に対する怒りと失望。同時にそれでも神を信じることでしか救われない人間の弱さ。畏怖と愛情。相反する二つの感情がベルイマンの作品の根幹にはある。その「神の沈黙」を象徴するかのごとくミニマルなこの三作品には前述したように音楽がほとんどないのだ。
ベルイマンの多くの映画作品にはやはりスウェーデンの作曲家、エリク・ノルドグレンの音楽が使われている。三部作に先立って製作された「野いちご」や「夏の夜は三たび微笑む」など、少しコミカルな要素もある作品はノルドグレンの音楽で彩られている。しかし彼の音楽は映画とほぼ同化していて、音楽自体が主張することはない。それは極めて「劇音楽的」にぴったりと作品に寄り添っている。
だとすると「神の沈黙」三作品に音楽がないことについて考えてみた。そもそも音楽=musicとはギリシャ語のmousike。遡ればmuse=女神の語源となる。ベルイマンにとっての音楽は実は「救い」なのではないだろうか?父や神といった絶対的存在への畏れは、その逃げ道として母や女性への憧憬につながっている。ベルイマンは生涯に5度の結婚をし、出演した女優とも度々恋に落ち、彼女たちを共演させたりもした。女性から見るとダメ男の典型にも思えるが、そんな人間としての弱さを曝け出してみせるベルイマンは巨匠となっても実は小さく弱い少年のままなのかもしれない。
そしてこの「神の沈黙」三部作の中でほぼ唯一使われている音楽がバッハだったことはとても深く印象に残った。
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