
RADIO DIRECTOR 清水葉子
フリーランス・ラジオディレクター。TOKYO FMの早朝の音楽番組「SYMPHONIA」、衛星デジタル音楽放送ミュージック・バードでクラシック音楽の番組を多数担当。「ニューディスク・ナビ」「24bitで聴くクラシック」など。趣味は料理と芸術鑑賞。最近はまっているのは筋トレ。(週1回更新予定)
2019年はエドガー・アラン・ポー生誕210年ということである。そのポーの短編小説『アッシャー家の崩壊』をもとに自身で脚色し、オペラ化を試みたのが作曲家ドビュッシーだった。それはドビュッシーの死により断片を残し未完となってしまったわけだが、この幻想小説を具現化させたい、というドビュッシーの思いはとてもよくわかる。何しろ魅力的な素材だ。
美しくも妖しいポーの世界観は、その名前からとった萩尾望都の少女漫画『ポーの一族』ともオーバーラップする。荒れ果てた屋敷、兄と妹、呪われた一族、生きながら埋葬される少女など。これらは発展して日本におけるゴスロリの世界へも通じるような気がする。ちなみに『ポーの一族』に登場する兄の名前はエドガー。亡くした妹の代わりに仲間に引き入れた少年の名はアラン。漫画ではそこにヴァンパイア=吸血鬼という更なる劇的な属性を追加しているが、そのモティーフをみるだけでもドビュッシーがオペラ化しようとした要素が詰まっている。しかしそこに唯一ないのが〈音楽〉である。
現在いくつかの補筆版があるこの「アッシャー家」ではあるが、この音楽の部分を補筆し、コンサート形式で上演する、という興味深い試みが先日、ハクジュホールであった。主催は文筆家でもあり、ピアニストでもある青柳いづみこさん。プログラムは前半に「アッシャー家」とも関連を思わせる後期のドビュッシーの退廃的ムードの漂う歌曲や、ドビュッシーの友人、アンドレ・カプレ編曲の交響詩「海」の6手2台ピアノ版などが演奏された。これが後半のプログラムへ続く序奏のような形になった。ドビュッシーに対して造詣の深い青柳さんならではの、それと同時にドビュッシーへのリスペクトも感じられる構成だ。
ドビュッシー:アッシャー家の崩壊
休憩をはさみ、いよいよ未完のオペラ『アッシャー家の崩壊』に関するプレトーク「音楽における恐怖への前進」が、青柳さんと補筆を試みた作曲家の市川景之さんで行われた。そこでも言及していたが、これは〈試補筆版〉である、ということ。この言葉からもわかる通り、実験的ではあるけれどもドビュッシーが目指した完成版の世界を損なうことなく、自己主張は最小限に留めてこれを補完した市川さんの謙虚な姿勢を感じた。
プログラムからのストーリーである。
ロデリックとマデリーヌの兄妹は呪われて死に絶えた一族、アッシャー家の古い屋敷に暮らしている。妹のマデリーヌは原因不明の病に冒され余命いくばくもない。双子の妹と共感関係にある兄は、妹の死とともに自分の命も奪われるのではないかという恐怖にとらわれ、彼女を生きたまま埋葬してしまう。ロデリックに手紙で呼び寄せられた友人は、ロデリックが妹に抱く禁断の愛を感じ、応対する医者もマデリーヌを愛していることを知る。(このあたりは原作を多少デフォルメしている。) 友人は錯乱したロデリックの話を聞き、彼を慰めるために騎士物語を読んで聞かせたりする。やがてその物語の一部が現実と重なり、生きたまま埋葬されたマデリーヌの姿が現れ、兄の上に倒れかかる。友人は恐ろしさのあまり屋敷を逃げ出し、赤く染まった月が輝く中、館は沼に崩れていくーー。
もちろん予算も時間もスペースも存分にあればもっと違った演出も可能だろう。しかし伴奏はピアノ連弾によるもの、舞台背景はスクリーンに映し出された古びた洋館の画像のみ。しかしかえってそれがこの幻想譚のイメージを膨らませ、知られざる未完の作品にピントを合わせていたように思う。それには登場人物として歌い、演じた歌手陣の立派な歌唱があったことも大いにあるだろう。主人公ロデリックを歌った松平敬さんは現代音楽のスペシャリスト、マデリーヌを歌った盛田麻央さんの儚げな風情も素敵だったし、根岸一郎さんのくせのある医者役も存在感があった。
ドビュッシー:「アッシャー家の崩壊」よりマデリーヌのアリア
ポーの原作ではロデリックとマデリーヌは年の離れた兄妹という設定だが、ドビュッシーの台本では双子の兄妹ということになっていて、より親密な関係性を強調する。更にわずかしか登場しない彼らの屋敷に住む医者が重要人物となり、マデリーヌに思いを寄せ、ロデリックに先んじて彼女を埋葬するという狂気を孕んだ濃いキャラクターになっている。ドビュッシーの目指したゴシックホラー的なオペラ全体像を彷彿とさせる。
また音楽は弦楽四重奏曲に酷似したテーマや、後期の作品にみる禍々しさと幻想的なムードが顔を見せる。また時に朗読のみで聴かせる場面などもあった。どこまでが断片でどこからが補筆なのか、グラデーションになっていてわからないほどだったが、それがいわゆる〈試補筆版〉ということなのだろう。
ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調Op10
こうした補筆がいくつも行われて、作品としての存在自体が肉厚になっていくと、また様々な議論の余地もあるのだろうが、その初めの一歩としての実験的意義は確かにあったのではないだろうか。
冬の夜道を帰りながらもう一度、ポーの原作『アッシャー家の崩壊』を読み返してみよう、と思った。
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