
RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、楽器店勤務を経てラジオ制作会社へ。その後フリーランス。TOKYO FMで9年間早朝のクラシック音楽番組「SYMPHONIA」を制作。衛星デジタル音楽放送ミュージックバードではディレクター兼プロデューサーとして番組の企画制作を担当。自他ともに認めるファッションフリーク(週1回更新予定)
おっちょこちょいのエピソードを度々ここで大っぴらに披露するのもどうかと思うのだが、ラジオ制作の裏話的なネタもあった方がいいだろうと思って、意を決して今回はここに書くことにする。
現在の私の担当番組は週末に集中している。まずは金曜日の夜に収録している「山野楽器クラシックベスト10」。こちらはクラシック音楽のチャート番組という内容でたっぷり3時間。山野楽器の全面協力のもと直前のランキングを反映するために、前日にチャートを出してもらい、当日選曲し素材を揃えて収録に臨む。番組納品のタイムリミットは前日の21時。この番組は日曜日オンエアなので、この場合は土曜日の21時がデッドラインである。土曜日の午後はまた別の番組の収録がある。そのため録ってすぐに編集、完パケしなければならない。スタジオ収録は主にナレーション部分を録るだけ、後で音楽の部分を編集で貼り付けていく。ベスト10なので、10曲とおすすめコーナーの1曲をナレーションと交互に挟んでいくわけだが、この日はレイチェル・ポッジャーの弾くバッハの無伴奏のチェロ組曲がランクインしていた。ポッジャーは言わずと知れたバロック・ヴァイオリンの名手である。チェロの金字塔ともいえるこの作品を彼女自身がヴァイオリン用に編曲して演奏しているというもので、非常に話題盤となっていた。既に何週間か続けてランクインしていて、組曲第1番の前奏曲など有名な曲もかけていたのだが、この日は第6番の前奏曲をかけることになっていた。
レイチェル・ポッジャー(Vn)
問題はこの音源がSACDであることだった。 ミュージックバードの番組は24bit放送をしているため、ハイブリッドディスクはSACDレイヤーで録音をしている。このSACDを録音するのに3つプレイヤーがあるのだが、その日第3スタジオで編集作業をしていた私は当然そのスタジオに設置してあるマランツのプレイヤーで録音するつもりだった。前にも触れたが私はディレクターとは名ばかりの機械音痴でもある。最近リニューアルしたスタジオはケーブルが新しくなっていたため、ケーブルの形状が変わるともうお手上げである。しかしその日も土曜日の午前中で人もいないので、ミキサー卓の後ろに這いつくばってしばしケーブルと格闘する。こうなるとファッショニスタもへったくれもない。ようやく卓から伸びているケーブルを見つけSACDに繋ぎ、音も無事スピーカーから聴こえてきた。
これで安心したのがまずかった。第6番前奏曲は13トラック目だったので、ケーブルと格闘する前に頭出しをしていたつもりだったが、そうこうするうちにそのトラックを外れてしまったらしいのだ。冷静な時に第6番の前奏曲と言われればこの曲か、とわかるのだが、その時は音が出たことにすっかり意識が向いていたのだ。後で発覚するのだが別のトラックをそのまま録音して完パケし、無事納品を済ませて帰宅したのは午後9時半だった。
今回は出演者である山野楽器の峯岡さんに先に同録を送っていたのだが、それを聴いた彼が「バッハの曲が違うのでは?」とメールをくれたのも丁度自宅に帰り着いた直後だった。一瞬血の気が引いたが、そこは百戦錬磨(?)のディレクター、すぐに正気を取り戻し、既にデッドラインの21時は過ぎているが、なんとかマスター(主調整室)を拝み倒して再納品をお願いするしかない。取り敢えず素材をもう一度確認する必要もあったので、すぐに半蔵門に引き返した。
再びスタジオに辿り着いたのは22時半。本来21時を過ぎたら放送データの再転送は技術部の立会いが必要だが、翌日午後のオンエアということで深夜零時前であればマスター室の従事者だけで行なってよい、ということだった。急いで音を確認するとやはり曲が違っている。SACDをセットして今度こそ正しいトラックを録音。そういえば全体の尺がちょっと計算より足りないな、と思った筈である。しかし編集中に多少の誤差が出ることはよくあるので、気にしなかったのも裏目に出た。ついでにナレーションの編集も少し修正し、最終的に完パケのやり直しを終えた時は23時を回っていたが、零時前なのでからくも間に合った……。しかしトラックを差し替えたため、各曲の放送時間が少し前回より早まってしまった。キューシート(番組のタイムテーブルを個々に記したもの)の書き替えも行わなくてはならない。この情報はHP上でもアップされるため、正しい時刻を記入する必要がある。これも書き直しをして、ようやく本日二度目の帰宅となった。
久しぶりにバタバタと大騒ぎをしたが、実をいうと放送の現場はこれに準ずる程度の騒ぎは日常的に起きていると言っても過言ではない。今回は事故を回避したけれども、修正された音源が確実に放送にのるかも当日になってみないとわからない。私は翌日曜日もオンエアを聴くためにスタジオに向かい、3時間番組を聴きながら仕事をした。当然休みは返上。ラジオディレクターの経験値はこうした修羅場を経て積み上げられていくのである。
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