RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
緊急事態宣言が出た。
その翌日に職場に出向くというのも因果な商売だが、仕方ない。コンサートもほぼ延期や中止の現在、かなり在宅仕事に切り替えている部分もあるのだが、やはりスタジオで行わなければならない収録もあるし、納品作業なども局の端末に入れるまでは一応担当ディレクターの仕事なのでやらなければならない。
そこでこのコラムも今月は私の雑多な日常を取り上げつつの内容となってしまうことになりそうである。今までも若干ネタに困った時に「ラジオディレクターの仕事」シリーズとして書いてきたのだが、他愛ない日常から(とは言っても非常時には違いないのだが)音楽の話を少し盛り込めたら、と思っている。
宣言の翌朝はさすがに電車もガラ空きだった。私の場合少し遅めの時間帯なのだが、見ると電車の座席が空いていても座らない人も多い。これは所謂ソーシャル・ディスタンスを意識しているのだろうか。なんだかんだ言って総理大臣が発する「緊急事態宣言」というものにはそれなりに重みがあるということだ。
Don’t Stand So Close To Me/The Police
マスクは店頭では全く見かけないが、皆どこで入手するのか95%の人が着用している印象だ。私は職場の女子のお母さんに作ってもらった布マスクを着用している。しかしこのマスクというやつはゴム紐が邪魔でピアスが付けられない。一日に何度も手洗いしたりアルコール消毒したりするので指輪もやめてしまった。布マスクだと洗わなければならないので化粧もあまりできないし、妙齢の女性としての嗜みが揺らいでしまうのに幾許かの違和感を感じている今日この頃である。
局に到着。TOKYO FM内も入口で検温が義務付けられた。37.5℃以上あった場合は入館できない。もちろんマスクは必須である。
10時半から在宅社員も含めてオンライン会議。なんだか最先端のようだが、うっかりすると家の中が見えてしまうのは困りもの。若い女子社員の部屋が意外ときれいだねーなんて会話が繰り広げられている。自分が在宅じゃなくて良かった。そのために化粧して部屋を片付けないといけないのか、面倒だな……などとどうでもいいことが頭の中を飛び交う。
実は世間がコロナ騒動になリ始めた頃、私は職場の手前100メートル位のところでタクシーと接触事故を起こしてしまった。いつも通り駅から歩いて局に向かっていたところ、大通りから侵入してきたタクシーと衝突したのである。咄嗟に身を避けたので道路に投げ出されたものの、幸い大事には至らず打撲程度で済んだのだが、交通事故には違いないので目と鼻の先にある麹町警察のお世話になったわけである。今日は警察に病院の診断書を提出する必要もあった。担当の交通課のお兄さんに電話をしたところ、
「このような状況で中に入ってもらうのも何なので、外で待っています」
「あ、じゃあすぐ持って行きますね」
というやり取りの後、新宿通りの横断歩道に立つと向こう側に担当のお兄さんが待っていてくれている。渡らせちゃったら申し訳ない。お互い姿を確認して、あれ、このままだと横断歩道の真ん中でやり取りすることになっちゃうか?と思った瞬間信号が青に変わった。お兄さんが笑顔を称えてジェスチャーで私を押し戻す。ぱっと見、ドラマのワンシーンみたいな状況になっていて笑ってしまった。お兄さんとはお互いこんな時に仕事で大変ですね、などと慰め合ってまた局に戻る。
SAY YES/CHAGE&ASUKA
スタジオは場合によっては「三つの密」になり得るので、制作も神経を使っている。ディレクターはもちろんだが、出演者もマスクを着用してマイクに向かう。収録や生放送の前後には消毒作業を行っている。スタジオのドアの取手、マイクスタンド、卓のスイッチやボタン、パソコンのキーボードなども拭うことにしている。新たなゲストは電話出演のみにしてもらうなど、現場もいつもとかなり勝手が違うことになっている。収録が延期となった番組も相次いでいる。
また私はあまり移動したくないのと時短で作業を進めたいのもあって、食事はお弁当を持参している。在宅の間には自宅で自炊することも多いので、西京味噌をお取り寄せしてみた。鰆を味噌漬け焼きにしてみたところ、我ながら美味しくできたのでこれを主菜に。これまた時間がある時でないと滅多に作らない筍ご飯を炊き、緑の野菜の出汁煮は水気を切り、卵焼きと苺を添えた。しかしこれも飲食店は営業中止などで大打撃となっていると聞く。時々はテイクアウトなども利用するべきなのかもしれない。
お弁当を食しながら、「ストラディヴァリウス・コンサート」の番組で使う素材を録音する。諏訪内晶子の弾く1714年製ストラディヴァリウス「ドルフィン」で奏でられるベートーヴェンの「スプリングソナタ」はこのメニューにぴったりではないか。
諏訪内晶子
いつもの生活とは違うけれど、その中で少しだけでも幸福感を味わうことができるように、今できることをやるしかないと思う今年の「春」なのである。
ベートーヴェン/スプリングソナタ
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