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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

究極の室内楽@王子ホール

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

今回は若い奏者たちの室内楽コンサートである。会場は銀座の王子ホール。前回のコラムで紀尾井ホールを私のお気に入りのホールとして紹介したが、この王子ホールも甲乙付け難い良質なホールである。王子製紙株式会社が企業のメセナ活動の一環として1992年にオープン。室内楽向けの300席ほどの小規模なホールだが、特に弦楽器の響きはバランスがよく、今回は弦楽四重奏ということでたっぷりとその王子ホールの響きが堪能できる。主催公演のラインナップも常に魅力的なのだが席数が少ないため、いつもチケットが売り切れてしまうのが唯一の難点である。

icon-external-link-square 王子ホール

銀座は個人的に新卒で就職してから何年か仕事で通っていた土地でもあるので、私にとって馴染み深い場所だ。その頃からどこか「特別な街」という感じがしていたが、時を隔てた今でもやはり高級ブティックや老舗のレストランが軒を連ね、最近では外資系のホテルなどもいくつかオープンしている。コロナ禍の現在では観光客やオフィスワーカーが少なくなっているので多少様子が違っているとはいえ、それでもラグジュアリーな街並みを、少しお洒落して巡るのは心が浮き立つ。

「究極の室内楽〜気鋭の若手実力派による弦楽四重奏」と題されたコンサートは、NHK交響楽団アカデミー生として定期公演にも度々出演している関朋岳、ティボール・ヴァルガ国際ヴァイオリンコンクール最高位の戸澤采紀の2人がヴァイオリン。霧島国際音楽祭賞を受賞し、現在はドイツで研鑽を積んでいる島方瞭のヴィオラ。そしてミュンヘン国際音楽コンクールのチェロ部門で日本人初優勝という輝かしい経歴を誇り、既に名門ドイツ・グラモフォンからアルバムデビューも果たしているチェロの佐藤晴真という、4人の若手奏者たち。うち戸澤と島方の2人はまだ学生ということだが、いずれも第一級の実力の持ち主である。

icon-youtube-play 佐藤晴真(Vc)

プログラムはヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番ホ短調「クロイツェル・ソナタ」、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番変ホ長調Op12、そしてシューベルトの弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」D.810。
ちょっと驚いたのはプログラムの始めにヤナーチェクを持ってきたこと。通常のプログラムだったらメンデルスゾーンあたりから入るのが無難だと考えがちだ。しかしこのヤナーチェクの渋い「クロイツェル・ソナタ」を最初にしたことで彼らの意気込みを感じられるではないか。

その予感は期待通りで、冒頭から一気に凄まじいほどの緊張感が走る。低音が活躍するこの曲は筆頭格の佐藤のチェロがぐいぐいと全体を引っ張っていく。トルストイの同名小説から霊感を受けて作曲されたその内容はシリアスそのもの。第1ヴァイオリンが主導するような弦楽四重奏曲とは一線を画す。尋常ではない凝縮されたアンサンブルに客席も固唾を飲む。

続いて一転してメンデルスゾーンの和らいだ雰囲気に、緊張していた客席全体の空気がふっと緩む。一見型破りだが、これは絶妙に流れを考えたプログラムだ。ヤナーチェクでは控えめだったヴァイオリンも、ここではメンデルスゾーンの美しいメロディーを存分に歌わせる。それぞれがソリストとしても活躍する彼らだが、その呼吸はぴったりで、一昨年の12月に初めて出会ったカルテットというのが驚きだ。またアンサンブルを心から楽しんでいる様子がステージから伝わってきて、ヴィオラの島方がチェロや第2ヴァイオリンへ目線を向け、時に微笑みながら音を合わせている様子に心が温かくなる。

休憩を挟んで後半はシューベルト。自作の歌曲から引用した一部が第2楽章に使われていることで同じ「死と乙女」の名が付いている作品である。シューベルト自身が死を予感し、尚且つ生に対する憧れも同居しているこの曲には、絶望と希望がないまぜになった複雑な要素も多分に感じられ、初期ロマン派の名曲の誉高い作品である。ここでも彼らの緊密なアンサンブルがエモーショナルな演奏を展開する。時に悲壮感をも漂わせるドラマティックな中間部では、ヴァイオリンが嘆きの声を上げるようにやや上擦る部分もあったが、若さゆえの勢いというところだろう。しかし終楽章では文字通りその若さの勢いに任せて疾走しつつ、アンサンブルは崩さないギリギリの、激情が迸るフィナーレは素晴らしかった。聴き手の高鳴る鼓動を鷲掴みにし、多少の音程の乱れなど記憶から消し飛んでしまった。思えば4人も、そして客席も一体となって、音楽を通して感動を共有することができる幸せを、この変わってしまった世界から取り戻すために必死で音に集中していたような気がする。

icon-youtube-play 「究極の室内楽」リハーサル

王子ホールを出た私は興奮を鎮めるために、少し昔を思い出して街を歩いてみようかとも思ったのだが、平日の夜は人通りもまばらになっている現在の銀座。雨も降ってきたので諦めて帰ることにした。芽吹きの季節の雨は少し温かく、その湿り気には春の匂いが微かに漂っていた。

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