RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
スタジオからの帰りの地下鉄でのこと。途中駅で白い杖をついた背の高い男性が乗ってきた。座席は満席だが立っている人はまばら、という状態。私も座っていたのだが、男性が反対方向のブロックへ向かっていくのが見えた。しかし男性の周りに座っていた人々は誰も彼に席を譲らなかった。よっぽどそこまで行って声をかけようかとも思ったが、その時私の隣の人が偶然立ち上がった。しかし近くに立っていた人がすぐその席に座ってしまったりしてモヤモヤした気分になった。そもそもかなり離れた私の座席を譲るよりも、男性の目の前の人に席を譲って差し上げたらいかがですか、とお願いした方がよっぽど安全かもしれない。などと思いを巡らせているうちに男性は降りていってしまった。その一件でも思うのが、日本は障害を持つ人に対して積極的なアプローチをすることが少ない。それはひとえに彼らに対する理解や共感が少ないことの証拠ではないだろうか。
そんな時に視覚障害者のための「点字楽譜利用連絡会」という団体が主催するコンサートのご案内をいただいた。
視覚障害を持ちながら活躍している演奏家の存在は知っている。ピアニストではヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝して一躍人気となった辻井伸行、少し上の世代では梯剛之、ヴァイオリニストの和波孝禧、古楽の分野では鍵盤楽器奏者で指揮者でもある武久源造など。
辻井伸行
音楽を学ぶ人たちーー学生や愛好家も含めて、視覚障害を持つ音楽家が作品を演奏する時にどのように取り組むのか、というと耳で聴いて覚える、という場合もあるようだが、やはりそこには楽譜の存在があり、どのようにしてその楽譜を読んでいるのかといえば、点字というプロセスを経ていることを改めて思い知るのである。
フランスのルイ・ブライユが考案したこの点字。日本には明治初頭に入ってきたそうだが、楽譜を点訳する仕事というのは現在もほぼボランティアで成り立っているのだそうだ。しかし点訳者も年々高齢化し、しかも新たに点訳を志す人は少ないという難しい状況である。それら点訳された楽譜の目録を作り、ユーザーと共有するシステムを作ったのが「点字楽譜利用連絡会」で、先に名前を挙げた日本を代表するヴァイオリニストの和波孝禧さんがこの代表を務めている。
和波孝禧
点字楽譜を利用するのはいわゆるクラシック音楽の演奏家ばかりではない。邦楽演奏家ももちろんで、コンサートは箏の河相富陽さんと和波さんのジャンルを超えた共演もあり、和波さんのヴァイオリンを中心にピアノ、声楽、箏などがプログラムされていた。またそのプログラムの冊子には点字の情報端末やディスプレイなどの商品が掲載されていて、普段見慣れないそれらの商品を見るだけでもちょっと新鮮な驚きと興味を持った。
さて、コンサートが始まると演奏者は介助者と一緒に舞台に登場する。スムーズに彼らをエスコートするのはなかなか難しそうである。会場の東京文化会館小ホールは舞台に対して放射状に座席が配置されているので、出演者が増えると挨拶をする時に客席に対して中央正面の角度をとるのが大変そうだった。
途中で和波さんのトークもあり、点字楽譜にすると当然だが通常の楽譜の何倍もの分厚さになり、リハーサルの時はそのずっしりと重たい点字楽譜をリュックに入れて持ち運ぶそうである。また出演されていたソプラノの澤田理絵さんによると、声楽の場合は音楽と歌詞という二通りの点字が必要で、文字と音符で同じような配列の点字もあることから並べて読むと混乱することも多いとか。彼女の場合はまず音楽を覚えてから歌詞を勉強するという。
なるほど、想像すればするほど大変な作業を経て読譜をしていることに気付かされる。障害を持たない人が音楽を勉強するよりも更に沢山の時間を要して努力を重ね、しかも彼らと同じ土俵で芸術の高みを目指していることを決して忘れてはならないだろう。点訳のボランティア、活動団体の事務局の運営などもこなしながら演奏活動を続けている人も多く、ましてやこのコロナ禍で活動に大きく影響を受けているのはもちろんである。
そうした活動や存在を少しでも知って欲しい、と話した和波さんだったが、その話しぶりは恨みがましさなどは微塵もなく、とても穏やかでユーモアに満ち、途中会場からは笑いも起こるなど、和やかな雰囲気だったのが印象深い。きっと和波さんの柔和な人柄によるところなのだろう。
最後は和波さんとセイジ・オザワ松本フェスティヴァルでも演奏したメンバーでブラームスの弦楽六重奏曲の第2番。和波さん以外はいわゆる健常者。国内外で活躍する実力派の演奏家達だ。もちろん和波さんと目線で呼吸を合わせるということはできない。しかし彼らはお互いの呼吸を熟知していて、それは目線以上に意識を集中させることで見事なアンサンブルを作り上げていた。
ブラームス:弦楽六重奏曲第2番
深い弦楽の響きとともに「コロナで世界が変わっても、ブラームスは変わりません」という和波さんの言葉が忘れられない。
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