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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

新しい景色

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

三度目の緊急事態宣言における文化庁長官の声明文を読んだ時、熱い思いがこみ上げてきた。「芸術文化は決して不要不急ではなく、人間の健康と幸福を維持するために必要不可欠なものである」という言葉に勇気づけられた人も多いことだろう。変異ウィルスによる感染拡大でワクチン確保や各所への行政の対応が後手後手になる中、コンサートの開催は一応容認されたものの美術館や博物館、映画館は閉館となっているところもある。予定通り公演を行う演奏団体も、もちろん感染対策を徹底しての実施であることは言うまでもないが、今回私は5月の定期公演を予定通り開催した東京フィルハーモニー交響楽団のサントリーホールでのコンサートを聴きに行くことができた。

昨年一度目の緊急事態宣言から明けて6月にいち早く定期公演を再開したのが他ならぬ東京フィルハーモニー交響楽団だった。あの時も久しぶりのサントリーホール、久しぶりのオーケストラの音、といった状況で聴きに行ったのを思い出す。そのオーケストラの音が響いた時、皮膚に血の通うような錯覚さえあったが、それでもこれから世界はどうなっていくのか、音楽活動は続けられるのか、といった不安はまだ色濃く、オーケストラも充分なリハーサルができず、大きなブランクを経ていたことは間違いない。予定していたソリストや指揮者陣も来日がかなわず、どこか心許ない演奏だったのも事実である。

東京フィルの2021シーズンのテーマは「新しい景色をみたい」。それはコロナ禍で先の見えない中でも音楽を通じて希望を見据えていこう、という同楽団の決意でもある。今回は若き首席指揮者、アンドレア・バッティストーニが登場。既に2週間の待機期間を経て準備を行っていたが、彼のトークを交えた平日の午後のコンサートは中止。定期公演も危ぶまれたが、直前に開催に踏み切ったその決定は本番2日前。半分の座席数で途中15分の休憩を入れて終演まで1時間45分の予定となった。当日は雨も降っていて出足は鈍かったようだが、最終的にはまずまず人が入っていたようである。

アンドレア・バッティストーニには東京フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者に迎えられるタイミングで番組のゲストに出演してもらったことがあった。非常に頭脳明晰で、楽曲の成り立ちや歴史的背景、楽譜に書かれた作曲者の意図についてなど率直に詳しく語ってくれたのが印象に残っている。日本の文学や芸術にも関心が高く、まだ当時20代だったが、近い将来大物指揮者になるであろうことは容易く予想できた。その後はコンサートにも何度か足を運び、リリースされる録音も聴いてきたが、彼の才能はそうした知的なアプローチがある一方で、イタリア人らしい歌心も決して冷めてはいないのが特徴だ。いや、寧ろその内側には燃え滾るような熱情が存在している。

icon-youtube-play アンドレア・バッティストーニ

この日のプログラムは今年が生誕100年という記念に当たるピアソラの日本初演作品「シンフォニア・ブエノスアイレス」。後半はプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」という2作品。

日本でもこれだけピアソラ・ブームが定着しているというのにまだ日本初演作品があったとは少し驚きである。しかもこれがなかなか魅力的な曲ではないか。そう思えたのはやはりバッティストーニの力によるところが大きい。彼が振るとオーケストラも安心感が違うようだ。淀みなく振れる腕から繰り出される迷いのない指揮。途中小松亮太と北村聡のバンドネオンの音色がいかにもピアソラといった味わいを聴かせるが、いわゆるタンゴ音楽というよりはかなり前衛的なハーモニーも聴こえてきて、洗練されたラテンのクラシック音楽作品といって差し支えない。

icon-youtube-play ピアソラ:シンフォニア・ブエノスアイレス

後半はお馴染みのプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」。どちらもダンスという要素を備えているので、ピアソラと並べることで、リズムにある種の共通項を感じる。有名な冒頭の「モンタギュー家とキャピュレット家」などを聴くと、低音とリズムを強調する演奏も多いが、やはりバッティストーニはそのメロディーを存分に歌わせているのが特徴的だった。その音楽は縦割りではなく、常に流れるメロディーに合わせて動いていくのでフレーズは伸縮性を持つ。しかしバッティストーニのもう一つの側面はオーケストラをフルで鳴らすことに長けている、ということでもある。このカリスマ性と突破力みたいなものはあのムーティ にも通じるところがあるような気がした。ひょっとすると更に前の世代のトスカニーニあたりにも似ているのだろうか? そこにはイタリア系指揮者のひとつの系譜が見える。

icon-youtube-play プロコフィエフ:ロミオとジュリエット

バッティストーニのそうした知と熱の両面を持つ音楽性は、プロコフィエフの傑作をドラマティックに彩ると同時に、現実世界の不安を払拭する力強いメッセージにも思えた。

ピアソラの後、バンドネオン2人の演奏はあったが最後のアンコールはなかった。しかしこの夜のコンサートは開催されて然るべきだったし、決して不要不急ではなかっただろう。

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