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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

サーリアホの余韻

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

能を下敷きにした作品が最近ライヴで取り上げられることが多くなっている。能の「隅田川」を題材にしたブリテンの「カーリュー・リヴァー」は昨年横須賀芸術劇場での公演も記憶に新しい。その少し前、2018年には細川俊夫のオペラ「松風」も気鋭のコレオグラファー、サシャ・ヴァルツの演出と振付けにより新国立劇場で上演され、鮮烈な印象を残した。前回のコラムで紹介したクセナキスも能にはひとかたならぬ興味を持っていたことで知られる。

icon-youtube-play 細川俊夫:オペラ「松風」

icon-youtube-play ブリテン:オペラ「カーリュー・リヴァーー」

究極的に動きを削ぎ落とした舞台芸術である「能」は作り自体が非常にミニマムである。登場人物は主役のシテとそれと対峙するワキ。基本はこの二人で、演目によってはもう一人ツレが登場する。コーラスである地謡、音楽は囃子方と呼ばれる太鼓と小鼓、笛のみ。全てにおいて型が決まっており、演出にもかなり制限があるといってよい。しかしその中に底知れぬ凝縮されたエネルギーを内包している。シテは面をつけているのでその表情も一見するとわからない。僅かな台詞で言葉を発しはするが、それ以外は舞と所作だけで想像の余地を観客に委ねる。その「余韻」を味わうことこそが能の醍醐味に他ならない。長い歴史の中で独特の完成形をみた日本の伝統芸能に魅了され、西洋の文化圏にあるアーティストたちがこぞってオペラ化しているのも面白い現象である。

icon-youtube-play

その伝統芸能に光を見出すのは現代の作曲家だ。今回の貴重な上演はフィンランドの世界的な作曲家カイヤ・サーリアホによるもの。彼女がオペラ「Only the Sound Remains-余韻-」として、能の「経正」と「羽衣」の2本立てのような作品を作り上げた。そのタイトルを見ればサーリアホが能の世界に深く傾倒し、その真髄に触れていることが分かる。

能の根幹は日本人の宗教観とも深く結び付いている。とりわけその死生観は能を鑑賞する上で大きなポイントとなる。この世とあの世。その間を結ぶのが能舞台の橋掛りと呼ばれる独特の舞台の形にあるわけだが、能の作品というのはすべからく、この生と死の曖昧な世界に生きる存在=幽霊が主役のシテであることがほとんどだからである。オペラの舞台ではその橋掛りがない代わりに、どのようにその生と死の二つの世界を描き分けるのかが問題にもなってくる。

「経正」のあらすじを追ってみよう。源平の合戦で戦死した平経正が自身の法要の場に霊となって現れる。音楽を愛した経正。姿は見えないながらも琵琶の音を奏で昔を懐かしむが、やがて修羅の苦しみが襲い、それを恥じて自ら灯火の中に身を投じて姿を消す。

icon-youtube-play 能「経正」

女性を演じることも多いシテ。今回シテに当たる経正は男だが、それをカウンターテナーが担当するのは非常に受け入れやすい。両性具有的な存在として現世にあった経正を彷彿とさせ、尚且つこの世とあの世の境目で浮遊する霊魂としての儚さや妖しさをも象徴する。後半修羅の苦しみを描く部分はやや冗長な感じもあったのだが、仏教的な概念とも関わりが深いだけにオペラとして見せるのはなかなか難しいのかもしれない。しかし舞台上のシルエットに浮かぶ経正の影が、霊魂としてそこに存在しながらも姿は見えない、ということや森山開次のダンスが雄弁に語る。能が現代オペラに形を変化させるのにダンスは非常に重要な要素だとも思わされた。

第2部は「羽衣」。猟師の白龍が釣りに出かけると松の枝に美しい羽衣が掛かっている。持ち帰ろうとすると持ち主の天女が現れ、それがないと天に帰れないので返して欲しいと懇願する。白龍は天女の舞を見せてもらう代わりに衣を返すことを約束し、美しい舞を見せた天女はやがて天空の春霞の中に消えてゆく。

icon-youtube-play 能「羽衣」

能の演目の中でも人気作品として多く上演されるだけあって、春のイメージと美しい余韻を残す最後はオペラにしても同様に幸福感漂うラストシーンとなった。ここでもカウンターテナーの美しい歌声はまさしく天からの使者を思わせ、舞はしなやかに身体を躍らせる森山のダンスがここでも魅惑的だ。原作では天女は一人だが、ここではカウンタテナーとダンサーが二人で一つの存在として地上に降り立っているということが、人間ではない精霊的な存在感をより強く際立たせる。エレクトロニクスを効果的に使った音楽も、大気の中に消えゆく天女の物語を彩るのにふさわしい。地謡に当たる4人のコーラスと弦楽と民族楽器のカンテレを含む小編成の楽器の響き。妙に素朴でありながら、時に超現実的な世界を思わせる。フルートは能管の役割を担い、最後は天に昇る天女を象徴するように上昇していく。能の形式をなぞりつつ、前衛的ではあっても決してギシギシと張り詰めないサーリアホの音楽は、能の持つ幽玄の世界観を損なわず、オペラに見事に置き換えた。ある意味控えめに原作に寄り添っていたとも思う。

icon-youtube-play サーリアホ:オペラ「余韻」

足を痛めていたという話だったが、最後に客席から立ち上がって挨拶をしたサーリアホ。彼女自身も赤いショールを纏って立ち上がる姿がたおやかで、とても印象的だった。

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