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RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
コロナ禍に喘ぐ世界にこんなことが起きようとは誰が想像しただろうか。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースは文字通り衝撃だった。冷戦後も常に地球上のどこかで紛争や軍事衝突が起こっていたとはいえ、「戦争」というワードがこれほどリアルに感じられることは少なくとも私は初めてである。
日常生活を足元から掬われるような感覚に襲われたのはやはり東日本大震災の時である。どす黒い津波の恐ろしい映像と原発の制御不能のニュースに背筋が凍りついた。そして都市機能が不全になりかけたあの時、東京という日本の中心に暮らしていても自分たちの平和な日常と現実がいかに脆いものかを感じた。
そして2年前に突如訪れた新型コロナウィルスの脅威。人と会うことも話すことも触れることもタブーとされる世界。俄かに信じがたかったが、それは瞬く間に世界の新常識となった。パンデミックは同時に「音楽」に多大な影響をもたらし、その影響が今後人間の意識下にどのように現れるのか、心のどこかで不安を抱えていた矢先のことではあった。
政治と音楽は別物だ、ということは簡単だが、実際は切っても切れない関係にある。ナチスドイツと退廃芸術、ソヴィエト時代の社会主義リアリズムなど、その時代に不遇の人生を送った芸術家は数多い。今回の場合だと抗議の対象となるのはやはりどうしてもロシア人である。日本にもコロナ禍にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日して指揮をしたワレリー・ゲルギエフ。以前からプーチン大統領との交友関係があったことで、既に西側諸国から欧米での活動を一部制限されている。またロシアの主要な劇場の芸術監督らがその職務を今回のプーチン大統領への抗議と、自らの信念に基づいて辞職するケースも相次いでいる。
私はそのニュースが飛び込んでくる少し前に東京フィルハーモニー交響楽団の定期公演を聴く予定にしていた。20世紀の作曲家イアニス・クセナキスの生誕100年を記念したピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」日本初演と、井上道義の指揮で彼の得意のショスタコーヴィチの交響曲第1番というプログラムが興味を惹いたのだが、思えばクセナキスもナチスドイツ侵攻でレジスタンス運動に身を投じた不屈の作曲家だった。そしてショスタコーヴィチもまた独自の音楽と時の政治体制が求める音楽との間で葛藤したのはよく知られている。
東京フィルハーモニー交響楽団
この日の演奏会がウクライナ侵攻の直後に行われたのは何とも象徴的だった。冒頭はエルガーの序曲「南国にて」。井上の指揮はライヴで味わうとその指揮姿とともに印象的だ。長い手足を泳がせるようにオーケストラをドライブする様は、生まれ出る音も同様にどこまでも熱く、自由である。
続くクセナキスはこの作曲家の3曲あるピアノ協奏曲を全て演奏しているスペシャリスト、大井浩明がソリストを務める。読譜だけでも相当の能力が必要だろう。大井はほぼ楽譜から目を逸さずに緻密にピアノに対峙する。冒頭はオーケストラの大音量とピアノの音域が完全にぶつかる。しかし楽曲の凄まじいまでのエネルギーと密度に終始意識を覚醒させられる熱演だった。
井上道義&大井浩明
最後は井上の得意なショスタコーヴィチ。彼の指揮する交響曲は何度か他のオケでも聴いているが、楽曲の奥底にあるマグマのような概念をまるで作曲家が憑依したかのようなシンクロ率で奏でられる指揮者はそうはいない。第1番はショスタコーヴィチ19歳の時の作品。全体としてはまだ手探り状態の感じがあるものの、既に彼の後期の作品にもみられるアイロニカルな雰囲気や、トランペットなど金管楽器の使い方やピアノが主導するスケルツォ楽章などは協奏曲を思わせ、ティンパニや小太鼓など打楽器の扱い方も非常に効果的である。
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
演奏が終わって、井上も世界情勢にコメントせざるを得ない気持ちになったのだろう。戦闘的な音楽的モティーフを表現することはあっても、現実に戦闘を行うことは全く異次元のことである、というようなことを興奮気味に身振り手振りで語った。
アンコールには「南国」つながりで、敢えて長閑なシュトラウスの「南国のバラ」のワルツで平和を祈りつつ、コンサートは締め括られた。昨年アンコールで聴いたウィーン・フィルのワルツとは違う。東京フィルハーモニー交響楽団も先日の衝撃的なニュースを聞いて思うところあって演奏に臨んだに違いない。それはどこか強固な意思の滲んだワルツだった。
シュトラウス:南国のバラ
果たして、音楽は何を語ることができるのだろう。今この時にも傷ついている人々がいることを思うと胸が痛むと同時に自分の無力感に苛まれもする。それでも私たちは音楽の力を信じて日々を生きていくしかないと思うのである。
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