RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。
さて今回はホテルステイ中に観たMETライブビューイング、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ナクソス島のアリアドネ」について書こう。
4月はリヒャルト・シュトラウスの音楽を集中して聴く機会が多かった。番組でも関連のディスクを紹介する特集が多かったし、新国立劇場の「ばらの騎士」、都響スペシャルでの「英雄の生涯」と、ライブでも良い演奏に接すると、リヒャルト・シュトラウスの緻密で華麗なオーケストレーションには、やはり得も言われぬ魅力を感じてしまう。
リヒャルト・シュトラウスは1864年、ドイツのミュンヘン宮廷歌劇場の名ホルン奏者だった父と、ビール大醸造業者の娘であった母のもとに生まれた。幼い頃から父に音楽の英才教育を受け、作曲を始める。ミュンヘン大学の哲学科に入学したもののすぐに退学。この頃、指揮者のハンス・フォン・ビューローに出会い大きな影響を受け、彼の後を継いでマイニンゲンの宮廷管弦楽団の音楽監督に21歳の若さで就任。やがてミュンヘン宮廷歌劇場へ移り、1887年にはあのマーラーに認められ、ヴァイマールの宮廷歌劇場へ移る。指揮者として活動しながら作曲家としても交響詩「ドン・ファン」「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「ツァラトゥストラはかく語りき」など、代表的な作品がこの頃書かれている。またバイロイト音楽祭で出会った、彼の歌曲作品の理解者で優れた歌手でもあったパウリーネと結婚。幸せな結婚生活から「家庭交響曲」「インテルメッツォ」などが生まれる。しかしこのパウリーネは恐妻家としても有名であり、親交のあったマーラーとアルマ夫妻からも尻に敷かれ気味のシュトラウスの様子が回顧されている。いつの時代も妻が強い方が家庭は円満というところだろうか。
R.シュトラウス:家庭交響曲
1908年にはベルリン・フィルハーモニー音楽総監督に就任。その後にはウィーン国立歌劇場総監督として文字通り音楽界の頂点に上り詰めていく。ナチスとの関わりが暗い影を落とすことにはなるが、余生はスイスで過ごし85歳の生涯を閉じる。
長い人生を生きたシュトラウスだったが、後半生はオペラの作曲に力を注いでいく。オスカー・ワイルドの戯曲に作曲した「サロメ」ではセンセーショナルな話題をさらった。詩人フーゴ・フォン・ホフマンスタールと協力した最初の作品「エレクトラ」では前衛的な音楽でそれまでの作曲スタイルをぐっと押し進めた。ホフマンスタールとのタッグは「ばらの騎士」の成功で確固たるものとなるが、「ナクソス島のアリアドネ」も二人の協力による作品である。作曲家と台本作家の足並みが揃うことで優れたオペラが誕生するのは、モーツァルトとダ・ポンテ、或いはヴェルディとボーイトのコンビでも証明されているように幸せな邂逅といえるものだろう。
モーツァルト:オペラ「フィガロの結婚」
その「ナクソス島のアリアドネ」は序幕付きの1幕もののオペラ。劇中劇という内容のため、全体像を掴むのにちょっとコツが必要だ。METライブビューイングのHPでは人物相関図などもあるので見ておくのがポイントかもしれない。このコラムがアップされる頃には上映が終わっているかもしれないが、今後の実演の舞台を観る人の参考になりそうである。
舞台は18世紀前半のウィーン。ある貴族の館では、これから上演されるオペラ「ナクソス島のアリアドネ」を監督している音楽教師が、主人から真面目なオペラを観やすいように、軽妙なオペレッタと一緒に上演するように命じられる。正反対の舞台を組み合わせるという無理難題を突きつけられる作曲家は苦悩するが、これをMETのスター歌手、メゾソプラノのイザベル・レナードがいわゆるズボン役で務める。美貌の彼女は男役でも登場するだけでぐっと場が華やぐ。やがて本編のオペラが始まるが、一転シリアスなギリシャ悲劇となり、主役アリアドネを歌うリーゼ・ダーヴィドセンが圧倒的な存在感だ。彼女はロイヤル・オペラの「フィデリオ」でのレオノーレ役も素晴らしかったが今後要チェックな歌手の一人である。喜劇と悲劇がごちゃ混ぜの中、アリアドネにツッコミを入れるのがもう一人のソプラノ、ブレンダ・レイ演じるオペレッタ側の踊り子、ツェルビネッタ。コミカルな演技と超絶技巧の歌唱がこちらもお見事。
MET「ナクソス島のアリアドネ」よりリーゼ・ダーヴィドセン(S)
MET「ナクソス島のアリアドネ」よりブレンダ・レイ(S)
東京・春・音楽祭でも「ローエングリン」を振ったマレク・ヤノフスキが指揮というのも注目。私は残念ながら「ローエングリン」は聴けなかったのだが、「ナクソス島」では歌を主役の前面に据え、バランス感覚を持ちながらも見事に音楽を鳴らしていたのが印象的だった。
マレク・ヤノフスキ(東京・春・音楽祭2022より)
また色彩的な舞台衣装も特筆しておきたい。3人の妖精が登場する場面では長いスカートが幻想的なムードとともに舞台空間を彩る。喜劇役者たちのカラフルな衣装とさり気なく色味がリンクしていて、全体としての統一感も保たれている。またアリアドネのティアラはジェシー・ノーマンなど歴代のMETの名ソプラノが使用したという伝統の小道具。インタビューではダーヴィドセンがそれを身に付けられる幸福を嬉しそうに語っていた。
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