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Dilemma

Column Feature Tweet Yoko Shimizu

N響とルイージと東京芸術劇場

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

N響、ファビオ・ルイージ、東京芸術劇場。

私は現在、この三者が揃ったら当たり、だと思っている。オケと指揮者、ホールの相性がぴったりでいつも素晴らしい演奏を聴かせてくれるのである。

この日もいそいそと楽しみに支度をしていたのだが、東京芸術劇場のある池袋に私の自宅から向かうとなると自由が丘で東横線に乗り換え、副都心線経由で池袋、となる。通常は職場の半蔵門から向かうことが多いので、その時は有楽町線で降りて改札から真っ直ぐに進むだけなのだが、副都心線はホールから少し離れた場所にある。この距離感がどうもまだ不慣れで、いちいち構内の地図を確認しながら向かっていたら案の定開演時刻ギリギリに。私にとって池袋が鬼門となっている所以である。しかしこれだけやらかしていると度胸が座ってきている。1階席だったので慌てずに座席を確認して無駄のない動きで着席した。

N響定期Cプログラムはモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」序曲、同じくモーツァルトのピアノ協奏曲第20番、後半はベートーヴェンの交響曲第8番。休憩なしの約90分のコンサートである。実は16時から次の予定を入れてしまったので、終わったらダッシュで飛び出さなくてはならない。なんとも落ち着きのないことであるが、土曜日のマチネ公演は盛況だった。先の東京・春・音楽祭でも出演していたソリストのアレクサンドル・メルニコフが本日のソリスト。彼の演奏も楽しみだった。

まずは「ドン・ジョヴァンニ」序曲。たまたま番組でもオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を特集していたので、様々な演奏でこの序曲を聴いていたのだが、細身の体を大きく動かすルイージの指揮はしなやかで躍動感に満ちていて、何よりもN響がこの指揮者を信頼し切っている様子はその演奏からも明らかである。時期首席指揮者就任が決まったとのことだが、それも納得のニュースである。

icon-youtube-play ファビオ・ルイージ

続いてアレクサンドル・メルニコフのソロでピアノ協奏曲第20番ニ短調。30曲近くあるモーツァルトのピアノ協奏的作品の中で短調は2曲のみである。そのせいか哀愁と情熱が醸し出す楽想は後世の作曲家をも魅了し、あのベートーヴェンやブラームスがカデンツァを作曲している。今回メルニコフが弾いたカデンツァが誰のものだったのかは不明だが、わりと古典的な様相を呈していながら、ヴィルトゥオーゾ的な聴かせどころもあった。

彼がフォルテピアノも弾きこなす名手であることは知られているが、第1楽章が始まった途端、オケパート部分でも鍵盤の上で指を動かしていた。音はほとんど聴こえなかったが、指慣らし、というよりも既にモーツァルトの音楽に没入しているようだった。(本来の)ソロが入る部分では繊細かつ、明瞭な弱音が実に美しく、耳に心地よく響いてくる。この打鍵のコントロールの素晴らしさには舌を巻いた。アンコールは時代を大きく飛び越えてプロコフィエフの「束の間の幻影」からごく短い1曲を披露したのも粋で彼らしい。

icon-youtube-play アレクサンドル・メルニコフ

そして後半はベートーヴェンの交響曲第8番。9曲ある彼の交響曲の中では比較的地味な存在、というと語弊があるが、次々と進歩的な手法を取り入れていたベートーヴェンにしてはやや古典的な趣の作品である。とはいえ、随所に彼らしい力強いフレーズや英雄的なメロディーが散りばめられていて、聴くと改めてその魅力に取り憑かれてしまう。第3楽章は番組のテーマ曲にも使用したことがあるので、個人的にはとても思い入れの強い曲だ。今日のプログラムはモーツァルトからの古典派の流れの中に位置するベートーヴェンをより浮き彫りにしたものだといえるだろう。ファビオ・ルイージの指揮は古典派作品としての格調高い端正なフォルムを崩さないながらも、素晴らしく生き生きとした響きをオケから掬い上げる。N響の集中力の高さも見事なものだった。

icon-youtube-play NHK交響楽団第1957回定期公演Cプログラム

余談だが私は前日、実に2年振りとなるプライベート旅行で島根県から帰京したばかりだった。友人に会うつもりで赴いたのだが、それ以上に出雲大社や神魂神社、石見銀山や足立美術館など、自然と悠久の文化を存分に堪能。パワースポットなどというと安易だが、神聖な空気感みたいなものを感じ、敢えて言えばブルックナーの交響曲のような宇宙的な音楽が似合うような土地だとも思った。そういえばルイージ&N響で聴いたいつかのブルックナーの「ロマンティック」も素晴らしかったのを思い出した。

自由に行き来ができることのありがたさを感じつつ、リフレッシュできたので気分的にも解放された。国内線の飛行機はそこそこ混んでいたが、そろそろコロナの終息に光が見えてきたのだろうか? 街中の人出を見ても、コンサートホールもすっかり賑わいが戻ってきたようで、これからは来日公演も問題なく実現しそうである。国内オーケストラもやはり外国人の指揮者やソリストが出演することで更に活気を帯びてきそうである。

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