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Column Feature Tweet Yoko Shimizu

アントネッロのオペラ・フレスカ8〜『ラ・カリスト』

YOKO SHIMIZU COLUMN


ラジオディレクター清水葉子コラム

清水葉子COLUMN
RADIO DIRECTOR 清水葉子

音大卒業後、大手楽器店に就職。クラシック音楽ソフトのバイヤー時代にラジオにも出演。その後に制作会社を経て、現在はフリーのラジオディレクターとして番組の企画制作に携わる。番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど幅広く活動中。

立春の午後、川口総合文化センター・リリアでアントネッロの公演が行われた。昨年はコロナに罹患して一度公演を聴き逃してしまった私としては、年明けに知らせを受け取ってから、それこそ体調を万全にして、期待に胸を膨らませて川口駅に降り立った。何度か足を運ぶうちに私の自宅からは2つの路線を乗り継いで1時間ほどで辿り着くことを知り、すっかりお馴染みの会場となったリリアホール。今回は予定よりも乗り換えがスムーズだったので、少し早めに到着。かといってお気に入りのパティスリー「シャンドワゾー」でイートインするほどの時間はない。ホールの1階にある「リリア・ラウンジ」に入った。

実は初めて入ったこの店。メニューを見ると意外と軽食が充実している。ホール近くにこういうお店があると便利である。この日はオペラ公演なので3時間以上かかるだろう。ホットサンドくらいお腹に入れておいた方が良さそうである。お店の人に聞くと少し時間がかかるとのことだったが、開演時間を告げると早めに対応してくれた。その間にお会計もテーブルで先に済ませてもらい、コーヒーを最後まで味わうことができた。こういう気持ちの良いサービスを受けると是非また利用したいと思う。5分前に4階で受付を済ませ、着席。

ギリシャ・ローマ神話をテーマにしたオペラ「ラ・カリスト」は、人間と神々の恋模様をコミカルに描いた作品。タイトルになっているカリストは月の女神ディアナに仕えるニンファ=妖精である。神々の王であるジョーヴェに魅入られたカリストは、ディアナに変装したジョーヴェに誘惑され、それをジョーヴェの妻ジュノーネに嫉妬され、熊にされてしまう。しかし最後は星になって永遠の存在となる。これが星座のおおぐま座となったという。

神話によく登場するこのジョーヴェは木星を司る全知全能の神。ゼウスやジュピターとも呼ばれるが、実に浮気な神で、ちょくちょく地上に降り立っては牡牛や鷲などに姿を変えてお好みの女性を(時には美少年も!)を誘拐してくる。木星には4つの衛星があるが全て彼の愛人の名前が付いている。イオ、エウローパ、ガニメデ、そしてカリストである。

その浮気な神ジョーヴェを演じるのはすっかりアントネッロの二枚目担当となっているバリトンの坂下忠弘さん。彼の登場シーンは客席からで、ちょうど私が座った席の目の前に不意に現れたのには驚いた。間近で見る後ろ姿に「頭ちっちゃ!」と心の中で叫んでしまったくらい、エレガントで華奢な頭身の持ち主である。そしてニンファ=カリストにはこちらも可憐な魅力の歌姫、ソプラノの中山美紀さん。よく動く表情とコロコロと鈴を転がすような歌声にいつもノックアウトされてしまう。

そのカリストの同僚ともいうべきリンフェアはカウンターテナーの眞弓創一さんが演じていたが、癖のあるキャストが妙に印象深い。またディアナに恋するエンディミオーネ役の新田荘人さんも濃い目の味付けのカウンターテナー。それから狂言回しのような存在のサティリーノ役の彌勒忠史さんが今回も見事に舞台を盛り上げていて、カウンターテナー陣が特に光っていた。パーネ、シルヴァーノの3人でのコントのような場面も爆笑。当意即妙でまるで落語のように客席の空気を支配する能力と、力強い歌唱のコントラストには脱帽である。

またコミカルなストーリーが瞬時に場面転換されるのは、パイプオルガンを背景に映し出されたプロジェクションマッピングが絶妙な匙加減で演出されているからである。このホールの特徴を最大限使って、無理なくその世界観を表現する手法は見事と言う他ない。また指揮をしながら演奏される濱田さんの見事なリコーダーとコルネットが鳥の声や熊の声に。そのソロが披露される瞬間は会場中が舞台上に釘付けになってしまう。アントネッロのアンサンブルはもはや盤石の布陣で、ピリオド楽器のスペシャリストがこれでもか、というほど隙のない音楽を聴かせてくれる。それは堅苦しい演奏というわけではなく、技術的にも難しい古楽器の扱いを完璧にクリアした上で、こんなにも生き生きと音楽を紡ぎ出してくれるのである。それをこのスケールの舞台で味わうことができるとは、なんと贅沢なことだろうか。

※写真は全て「アントネッロ公演「ラ・カリスト」より©︎ヒダキトモコ」

また政治的なメタファーがそこかしこに見え隠れするのは、17世紀前後のヴェネツィアとヨーロッパ各国やローマ教会との微妙な関係が大いに反映されているからであり、深掘りすればするほど新鮮な味わいのある、アントネッロのこの「オペラ・フレスカ」シリーズなのである。カヴァッリの音楽は大雑把な手稿譜のみが残されているだけで、補筆したり、同時代の別の作曲家の作品から挿入したり、即興的な部分も大いにあったようだが、これは濱田さんのアレンジが加えられた独自のバージョンであり、これらを含めて舞台の魅力が完成されるのである。才人、濱田芳通さんの活躍は2021年度の第53回サントリー音楽賞受賞でもお墨付きである。

今回もそんな愉悦の余韻を抱えつつ、「シャンドワゾー」でケーキを買って帰るという一連のコンプリートで、幸せな気分を満喫した立春の日となった。

ちなみに次のアントネッロの公演はバッハの大作「マタイ受難曲」だという。同じバロックの大作曲家ヘンデルの「メサイア」でもこれまでにない歌心に溢れた演奏を聴かせてくれた彼らの最新ニュースに、身を乗り出さずにはいられない。

icon-youtube-play ヘンデル:メサイアbyアントネッロ

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