RADIO DIRECTOR 清水葉子
音大卒業後、大手楽器店に就職。その後制作会社を経て、フリーのラジオディレクターとして主にクラシック音楽系の番組企画制作に携わるほか、番組連動コラムや大学でゲスト講師をつとめるなど多方面に活躍。2022年株式会社ラトル(ホームページ)を立ち上げ、様々なプロジェクトを始動中。
その日、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが亡くなったというニュースが世界中を駆け巡った。ピアノを愛する人にとってこれははただの訃報ではない。「時代の終焉」「巨星墜つ」といった言葉が頭をよぎったことだろう。近年はコンサートのキャンセルも多く、実際に聴くその演奏もかつてのような輝きはもはや失われていたという人も多かった。それでも彼はこのクラシック音楽界に於いて「神」といってもいい。そう、まさに神の手を持ったピアニスト、それがマウリツィオ・ポリーニだった。
ポリーニは1942年、イタリアのミラノに生まれた。建築家の父とピアニストの母を持ち、5歳からピアノを学び始める。早くから才能を発揮し、15歳でジュネーヴ国際コンクール第2位に入賞。しかしなんといってもその輝かしいキャリアの始まりは1960年のショパン国際ピアノコンクールである。審査員全員一致で優勝を飾り、あのルービンシュタインをして、「彼より巧く弾ける者はここにいない」と言わしめた。ポリーニ18歳の時である。
1960年ショパン国際ピアノコンクール
しかしそのショパンコンクール優勝後、彼は華々しく演奏活動することを選択しなかった。8年もの間、更なる研鑽を積んだのである。ミラノ大学では物理を学んだ。後に演奏活動を開始すると、その硬質なタッチと完璧なテクニックで聴衆を魅了した彼だが、情緒的な演奏というより、研ぎ澄まされたピアニズムは、理系音楽家といった側面も大いにある。またその間、同じイタリアの巨匠ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの薫陶を受けていたというのも頷ける。
録音も彼の名声を後押しした。名門レーベル、ドイツ・グラモフォンでの活動は特筆すべきもので、音楽ファンのバイブルともいえるような超名盤が今も燦然と輝いている。特にショパンのエチュード全曲録音は当時「これ以上、何を望みますか?」という有名なキャッチコピーが付いていた。しかしこの言葉が空々しく響かないほどに、このエチュードの衝撃は凄かった。ダイヤモンドの輝きにも例えられたその正確無比なテクニックに、音大生だった私も心底圧倒された。彫刻のように端正なピアニストの横顔のアルバムジャケットとともに今でも脳裏に焼きついている。
ショパン:エチュードOp10
ポリーニのディスクをもう1枚挙げるとすればストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3楽章」だろうか。これも超絶技巧を要する難曲だが、ロシア的な荒々しいピアニズムとは一線を画す、あくまでも完璧にコントロールされたタッチと機械仕掛けのような緻密さで聴かせる「ペトルーシュカ」は、クールな表情を崩さない。それでも思わず振り返ってしまうような魅力的な演奏である。私は未だにこれを超える演奏を知らない。
ストラヴィンスキー :ペトルーシュカからの3楽章
また彼は現代音楽にも積極的に取り組んでいた。シェーンベルクやウェーベルン、ブーレーズ、ノーノといった録音も残している。どこか人間を超越したかのような彼の演奏で聴くと、難解と言われるこれらの曲もすっと耳に馴染むから不思議である。私がポリーニのコンサートをただ一度聴いたのはやはり現代曲のプログラムだったが、息を潜めるようなサントリーホールの静けさの中に響く水滴のような音が今も耳に残っている。
ピアノという楽器を演奏することの孤独感は恐ろしいほど深い。ポリーニは優れたピアニストがその過程で少なからず指揮にも興味を示すのに対して、その道を辿らなかった。もちろんモーツァルトの協奏曲などでは弾き振りすることもあったが、敢えてピアノ演奏を追求し続けた稀有なピアニストだったといっていい。だからクラシック以外の音楽を好まず、室内楽にもあまり興味を示さず、指揮もしない彼は本当に誰よりも孤高のピアニストだったのではないか。
その理知的な演奏は歳を経て円熟する演奏スタイルともまた違っていた。ある程度の年齢になり、テクニックが衰えてくると、やはり以前のように手放しで評価されなくなってきたことは半ば仕方のないことだったのかもしれない。私も新譜を紹介する番組の仕事で久しぶりに彼の新盤を聴いた時(確かショパンの前奏曲だった)、私の知っているポリーニとは違う、などと勝手な拒否反応さえ出てしまった。アルバムジャケットには深く皺の刻まれた彼の顔があり、かつて好きだった恋人の面影を見るような、懐かしいような、それでいて愛おしいような何ともいえない気持ちが込み上げてきた。
ショパン:前奏曲Op25-15「雨だれ」
多くのファンがその喪失を嘆き、これ以降、数多の専門家がその功績を讃え、メディアでその特集が組まれるだろう。何よりも悔しいのはディレクターとしてポリーニの追悼番組を作ることができないことだ。それでも私がここでこれを書くのは、ポリーニというピアニストに対する個人的なファンレター、いやラブレターかもしれない。
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