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2PACの伝記映画の日本公開決定!

2PAC


1996年9月、凶弾に倒れ25歳の若さでこの世を去った2PAC。彼の伝記映画「All Eyez On Me」の日本公開が今冬に決定した。

(情報提供:UNIVERSAL MUSIC JAPAN)

2PACの伝記映画の日本公開決定!

アメリカでは6月16日から公開されているこの作品。6月16日は、2PACの誕生日であり、このタイミングに合わせ、約2,000館という大規模なスクリーン数で公開初日を迎えた。今なお影響力を持つ音楽界のレジェンドを描いた映画というだけあり、日本でも記憶にも新しい大ヒッ ト映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(‘15)を凌ぐ盛り上がりみせている。

1996年9月、凶弾に倒れ25歳の若さでこの世を去った2PAC。アルバム総売上枚数7,500万枚を超え、この世を去った後も未発表曲でアルバムが幾つもリリースされ、全てが大ヒット。エミネム、スヌープ・ドッグ、ド クター・ドレーが惜しみないリスペクトをし続けるなど、いまだその人気は衰えを知らない。そして今年、ジャネット・ジャクソン、チャカ・カーン等を抑えてロックの殿堂入り。死してなおも世界中のアーティストや音楽ファンを魅了し続けている。ブラックパンサー党員の母を持ち、黒人への差別に対する怒りを思うままにラップで表現。成功への道のり、仲間との別れ、裏切り、カリスマ性と名声の代償、警官狙撃、名誉毀損で告訴、東西海岸抗争、そして自身の被弾。センセーショナルなゴシップを放ち続け、常に危険と隣り合わせにいた2PAC。日本でも盛り上がりをみせているラップブーム。その原点ともいえる「2PAC」の知られざる真実をこの作品で見ることができる。

2PACの伝記映画の日本公開決定!

◆ 映画「オール・アイズ・オン・ミー」 STORY

ニューヨークのスラムで生まれ育った2PAC(トゥパック・シャクール)。ブラック・パンサー党員の母に連れられ、住まいを転々としていたため、あまり周りに馴染めない辛い幼少期を送っていた。役者に憧れていた彼は、12歳の時にハーレムの劇団に入団し舞台デビューを果たす。1986年、一家はボルチモアに移り住み、2PACはボルチモア芸術学校に入学。その頃から彼はラップに没頭することとなり、数々の詩を書き始める。17歳の時、カリフォルニアに移り住む こととなるが、その頃には母親はドラッグ中毒で家庭は酷い有様と化していた。それでも彼はラッパーになる夢を追い続ける。

1991年に2PACの名で、アルバム「2Pacalypse Now」でソロデビューを果たし、着々とその名を上げていく。だが、ある日彼はレコーディングに訪れていたスタジオで強盗に襲われ、その身に銃弾5発を受けてしまう。一命を取り留めた2PACは、この事件を仕組んだのは、たまたま同じスタジオにいたショーン“パフィ”コムズとノトーリアスB.I.G.だと思い込む。

西海岸のヒップホップ・レーベルDeath Rowレコードに所属する2PACは、東海岸のBad Boyレコードのショーン“パフィ”コムズやノトーリアスB.I.G.をことあるごとに非難し、ヒップホップ界史上最悪の東西抗争が幕を開けてしまう。
そして遂に、1996年9月7日ラスベガスで2PACは銃撃され、その6日後の9月13日に25歳の若さで人生の幕を閉じることとなる。

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